Friday, September 24, 2010

ノルウエーみやげ

ノルウエーから、帰ってから、もう15日が経過したというのに、左太ももはまだかゆい。
あまりのかゆさと、20センチ四方もある赤いおおきな円が取れないのが心配で、病院にいった。
ファームで何かにさされた。
ありかなにかとおもってほっておいたが、なおる気配はない。
医者がいいうのは、テックバイトインフェクシオン。
森とか、ファームにいくとよくいる虫らしい。
aki's dadは両腕。
かれも病院にいった。
UAEに10年。
砂漠の国にはいない、虫がノルウエーにいるらしく、私たちは、
その免疫がなかったもよう。

寒い、眠い、煙い。
むい、がつく言葉は、人間我慢できない、、、なんていうのを、ずんぶん前によんだことがあるが、かゆいのも、我慢できない。
夜中、体温があがると突然かゆくなる。
アイスパックを、縛りつける。
冷たいけど、かゆいよりまし。

ノルウエー土産に、ブラウンチーズとか、らい麦ビスケットとかほしかったけど、
結局なにも買えなかった。
けれど、お土産は、体にきざんで、もってかえってきたことになる。






Thursday, September 23, 2010

パキスタン

大被害を受けたパキスタンへの、寄付を赤十字をとうして学校がするらしい。

今回は、いつになく、まじめにありとあらゆるところあけて、
いろんなものを取り出し、寄付すると張り切っているうちの子だけど、
どれも、これも思い出がいっぱいで、なかなかわたしは、ふみきれない。
姉の子のお譲りだった、スカートも、パキスタンにいく。
日本ーーーUAE----パキスタン

韓国に行ったときに買ったドレス。
500円くらいだったけど、とても気持ちのいい素材で、かなり、出番がおおかった。
デザインがすきで、コピーもつくった。
うちの子は、3歳だった。
これも、思い出がいっぱい。

韓国ーーーーUAE---パキスタン
誰か着てくれるかな。


カルーラは、うちの子によく似ていた。
この夏最後に滞在したファームにいた犬。
もう1匹のユリアンのように、すなおに甘えられなくて、ちょっとすねたかんじ。
いつも1歩おくれている。
ダイレクトに心を見せるユリアンとかなり、ちがってた。


写真は見るけど、写真の様に描く必要はない。
雰囲気が出せればいい。

Wednesday, September 22, 2010

平方根


10歳で、グレイド6になった子供の算数に興味しんしん。
スクエアナンバーをやったという。
なにそれ?
平方根らしい。
ルート81の平方根は、9とか。
ウン十年前にやった。
その後、わたしの人生のなかで、1度もつかうことがなかったようにおもうので、ああいうものは、大人になってから、使うから、勉強するというものではないらしいことがわかる。
ルート2の平方根、1.414の求め方を、ネットで調べる。
おーうなってしまう。
こんなことするんだーと、感動さえする。

算数でもなんでも、
どんどん質問すれば、教えてくれる。
便利な時代になったものです。

朝は、-2度でした。
昼には、6度まであがりました。
温度差は、なんですか。
答え、8度。

しかし、簡単な引き算、-2+6=4
とは、ちがってくるので、これを学校では、同時に教えているらしい。子供たち、こんがらがってしまわないのかなとおもう。
私たちのときは、温度差みたいなものは、あとで、やったかもしれない。

各国で、カリキュラムが違うのは、とてもおもしろい。
日本では、速さや距離の求め方を、5年生でやるが、イギリスでは、6年生でもでてこない。

ガソリンの値段。
どうもひそやかに値上がりしたらしい。
明らかにたかくなっている。
日本だったら、1円上がったと、大変なニュースになるのに、ここでは、
だれもなにもいわない。
少々値上がりしても、まだ、他国とくらべると安いから、
みんなさほど気にしてないともとれる。





Monday, September 20, 2010

ガソリンの値段

私の足のサイズまで、あと1センチ程度。
10歳にして、こんなに大きくなるもの?
UAEの物価も年々ひどく、1000円程度で買えた、スクールシューズは、いまほぼ3倍。

やわらか若鶏いただきました。

3000円で56L.
この国のガソリンの値段。

日本のほぼ半額。
輸送のコストから、税金から、考えればおかしくないのだろうけど、
やはり、ここは、安い。
だから、リッターいくらするとかいうのを、正直言って、あまり、考えたことがない。

Sunday, September 19, 2010

過去は変えられない




子供は、将来物書きになりたいといっている。
将来のはっきりした夢をもつことはいいとおもうが、なんだか
食べていけるような仕事ではないなーとおもいつつ、
今のところ何もいえない。私は、10歳のとき、美容師になりたいなんて、文集に書いた。
ならなかったけど。
わたしとしては、子供には、コックになってほしい。

親が思いなど、通じるわけがない。

火曜日から、アリアちゃんを学校の帰りにピックアップすることになった。

仕事の帰りに、うちの子と隣の病院で、目医者として働く彼女の娘さんをいっしょにピックアップするという。
あなたがしたいのであればすればいい。困っている人がいるのなら、助ければいいとおもったから。事後承諾になったが、うちの子にいいかな、あさってから、アリアちゃんといっしょにかえってくるよといったら、きゅうに泣きした。

なんだなんだアリアちゃんのこと嫌いだったわけ?
と言うと、違うという。
じゃー、何で、泣いているのかときくと、今年の3月のうちの子の誕生日をここでしたとき、無様な姿を見られたのを思い出すらしい。

あきは、偏頭痛で、頭痛い,吐きそうと言って、パーテイの途中から、
トイレにこもってしまった。

10人ばかり集まった、友達は、偏頭痛なんてわからないので、
困ってしまってとまどった。
あきは、まだ、パーテイの最中というのに私たちのベッドで、グーグー寝始めた。

偏頭痛の症状として、
とんでもなく深く、長く眠る。

友達は、次々にわけがわからず帰っていった。

そのパーテイにアリアちゃんもいたので、

一緒に帰るようになると、あのパーテイのことをいわれるとおもったらしい。

過去はかえられない。
でも、未来は、これから、つくりだしていけるのよ。

なんていい言葉。
われながら、感動。

そのことを、うちの子に言ったとき、
納得してくれた。

何万回あのパーテイのことをおもっても、変えることはできない。

ぼろぼろのパーテイだった。

記念すべき、10歳の誕生日。

でもそれは、だれのせいでもない。
病気だったのだから。

でも、あれから、成長して、強くなっている自分を見せてあげることができるでしょ?

そういうと、にこっと笑った。

このことばは、私は、子供にいっているけど、本とは、私自身に言っている気がする。



Saturday, September 18, 2010

Pちゃんと32人の子供たち

Aki's dad 作、ブラウンレンテイルサラダ。
たまねぎを、サイダービネガーにしばらく浸しておくのが、秘訣とか。秘訣と言っても、レシピは、ネットで調べるけれど。
彼は、いろんな材料を買ってくるが、つかわないのでせまい台所がさらに狭くなる。
使わんのなら、買わんといていえば、けんがあるので、
遠まわしに
もう1年以上にもなるこのブラウンレンテイルをつかったらどうかといったら、フランス製のサイダービネガーを買ってきた。レシピにいるらしい。

フランス製のせいか、気のものかやたらとおいしかったので、今夜もまた、
作ってとたのむ。




豚をクラスでかって、Pちゃんと名前をつけて、900日にわたり、世話した、32人の子供たちのはなし。
最後には、食べるという約束で買い始めたが、名前があるので、ほとんどペットのようになり、食べるなんてと、子供たちは、動揺する。

賛否両論あった。
普段口にする豚肉とその豚がむすびつかないので、それを教えるために、、と言うのが、担任教師の考え。

よく、学校側と、親たちが許したなとおもった。
自分の子供の担任がそういうことをやるといいだしたら、私は、オーケーするだろうか?

ほとんどサラリーマン家庭だから、そういうものと触れ合うことがないと教師がいうが、ほんとにそうだろうかとおもうから。

昨夜食べた、サラダの中にハムが入っていた。
スエーデンで豚の世話をしたけど、ハムになっていって、私たちが食べているわけだけど、どうおもうと子供に聞くと、かわいそうだから、もう食べないという。

どうも、あの豚と、豚肉はうちの子もつながっていなかったようにおもう。

しかし、面白いのは、9匹のひよこが生まれた後、6匹は、オスだった。
卵を産まないので、役にたたないから、おおきくなったら、スープにするんだとファームの経営者が言ったことをどう思うかと子供に聞くと、鶏は大丈夫という。

豚は、だめで、鶏はだいじょうぶ?


いちばん大切なことは、
おいしく料理して、感謝して、食べることが大切なことではないだろうかと話す。

ビデオの最後に、その先生があの13年前のことは、正しかったのか、正しくなかったのか分からないと言う言葉で結ばれたのが、残念。


Friday, September 17, 2010

食事


今年の夏、2ヶ月間、他人の家で食事をする機会があったのは、わたしのこれからの生活を大きく変えるかもしれないようにおもう。
常々、いったい、ほかの人は、何を食べているのだろうとおもっていたので、夢がかなったともいえる。


スカッシュであった17歳くらいの男の子がセエフになるんだという夢をわたしに語ったのは、6月のこと。
pcは、なくても生きていけるけど、人がいる限り、ぜったい、食べ物はいる。

絶対なくなることはない。

あの若さで、自分の生きる道をもうみつけている彼はなんだかやたらと、大人にみえた。

体にいい食べ物を供給する仕事。

なるほど、これは、絶対になくなることはない。

有機農家での経験は、朝から晩まで、いかに、体のいいものを作り出すかにあった。

そのために、農家のひとたちは、労働力をおしまない。

若い労働者たちと真剣に討論を重ねる。

有機農家は、ほとんどが、人の手による。

だから、いかに労働力を最小にして、いい成果をあげるか話合うのも大切で、私は、なんの知識もなく、参加したので、ほとんど、恥をかいたも同然だった。
来年は、もうすこし勉強していかないとおもう。


2ヶ月間。
ああいう雄大な自然の中で、生活した結果
学んだことは、ちいさなことにくよくよしたってしかたがないじゃないってこと。
それが、わたしの趣味の絵にも影響した。


芸大で、勉強した人に、
挑戦できるわけはない。

じゃー、そういうひとたちが、
通ってきた道を自分なりに、
探して、逃げることなく、地道にやっていくしかない。

写真のように、絵をかく技術はわたしには、ない。

だったら、わたし流で描けばいい。

変に気負わずに、自然でいればいいと。



Thursday, September 9, 2010

9月8日北欧最後の日

朝4時50分。
サンダーフィヨルドの駅。
5時4分の電車で、ひとつ向こうの
トープという駅まで。
そこから、空港のシャトルバスにのる。
4時20分起きだったので、寝過ごしてはいけないと、緊張して、ほとんどねむれず。
3ヶ月くらいまえに飛行機のチケットを買ったときは、あまり、真剣に考えてなかったけど、
オスロから150キロほど離れた空港なので、かなり、不便。
KLMは、安かったので、買ったけど、
結局、1泊しなかればならなかったし、
早朝だし、かなりきつい最後となった。
マイナーな航空会社は、このトープ空港になるらしいので、
KLMを次回つかうときは気をつけようとおもう。


わたしたち以外なんと誰もいない駅のホーム。

ヘッジホッグ。

この2ヶ月と1週間に及ぶ、北欧の旅の最後を飾ったのは、ハリネズミ。
駅をとことこ歩いていた。

どうなることかとおもっていたが、
無事終了。
怪我も病気も(私が、1日熱をだしたが)しないで、最後までこれたことを誇りにおもう。
私の人生のなかで、いちばん実りのある夏となった。
”いったい、みんなどんなものたべてるの?”
という疑問を常々持っていて、今回それをみることができ、夢がかなったような感じともいえる。
みんな、すごい、パワーで作り、工夫し、たべる。
どの家も朝日がさんさんと降り注ぐ気持ちのいいキッチンだった。
これは、うちにない。

大勢で、わいわいいって食べる。
これもうちにない。


自分の普通の生活の中で、できないものをたくさん経験したことは、かけがえのないものとなるだろう。
優しい人たちにたくさんあった。
フィンランドでは、公衆電話がないので、こまっていると、
自分の携帯をかしてくれたひと。
雨が降っているのに、車を止めて、道を教えてくれたひと。
行く先々で、たくさん優しい人たちにあった。
ファームのオーナーから、ファームで働く仲間から、
たくさんの人たちとの出会いがあった。

フィンランド、スエーデン、ノルウエー。
日本とさほど、サイズはかわらないが
人口は、どの国も、5,000,000人くらい。
気持ちがいいくらい、どこに行っても、あまり、人がいない。
そのせいか、みんなあくせくしてないようにみえる
その反対に、
ひととのつながりがとても、濃いようにみえる。
日本はひとがおおいけど、アパートで、隣に住む人を知らなかったりする。
日本の田舎と一緒で、人とのつながりが強いように見えた。

たとえば、最後のノルウエーのファームのヴェモンドは、ビールをつくるので、近所のひとが、ビールもらいたいのとやってくる。

ビールをやる。

次の日、ベリーがいまさかんだから、摘みにおいでと声がかかる。

摘みにいく。

次の日、きのこがいっぱいとれたから、おすそわけ。
って具合。

いろんなものを
あたりまえのよううにわけあって、生きている。

昔はそうだった。最近は、
そういう暖かいつながりがなくなりつつあるけど、
ここでの生活は、人間の原点にもどったような、助け合いの生活そのもの。

ほんとに、すばらしいとおもう。
豪雪地帯。
何があるか予測はつかない。
みんな助けあって生きていく。

UAEで、10年。
なんでもスーパーに行けば売っている。
というような生活をしていると、人間本来あるべき状態をすっかり忘れ去ってしまっている自分に気がついた。

私たち3人を、受け入れてくれた4つのファームには、ほんとうに 
感謝。

そして、
チケットの手配から、ホテルの予約、
重いバッグ運びから、
ファームでの大変な労働まで、
何一つ愚痴をこぼさず、やりとおした、
Aki’s dadにも、
感謝したい。

ごくろうさまでした。

また挑戦しましょう!!!







9月7日 Norway 最後の日

ユーリアン。



右目の上あたりが、皮膚病のようになり、病院につれていかれてからあと、足でかいてしまうのを防ぐため、エリザベスカラーをつけられていて、情けないすがた。
この彼とは、すごく仲良くなって、ダンスもした。
2本足で立つとわたしの高さはあまりかわらなくなる。



アイナーを最後の抱っこ。
別れはつらい。
朝、7時半。
みんなに別れをつげ、
セルさんが、Elverumの町まで、車で送ってくれた。
1時間かかった。
そこから、バスで、2時間。
オスロ着。
サンダーフィヨルドまで、電車。
一人243コロナ。子供は、ただ。
1時間かかった。

セルの車の窓から、最後のGravergetの町。


Elaverum からオスロに向かうバスから。


平地がつづくようになる。
麦の刈り取りがおわったあとらしい。



サンドフィヨルドの町での写真。
なんだか、日本と違うアパートの雰囲気。
何でか最初はよくわからなかった。
よくみると、木。
木造アパートです。
さすが、ノルウエーです。

Torp空港から、明朝7時に飛行機がでる。
5時半に空港につくようにするため、
ひとつ向こうの、
サンドフィヨルドという街で、最後の北欧の夜をすごすことになった。

これも、アパートらしい。
こういう木のアパートなら、住んでもいいな。


フィヨルド。
中学のとき習ったフィヨルドとかに、来る機会があるなんておもいもよらなかった。
地図でみると、なんにもないようだけど、
ちいさな町だけど、きれい。

フィヨルドツアー?
おおきな客船が停泊。

最後の夜。
久しぶりに自分たちのお金で、夕ご飯をたべることになった。
シャッターチャンスでした。
あき作。

スクラップブック作って、これをはるのとかいっているけど、
乾燥して、ぼろぼろになるのが、わからないのかな?

フィッシュスープ。

子供用、メニュー。あきが注文。

私の、注文。
きのこのリゾット。
カンタレルという、黄色のきのこがはいっていて、おいしかった。
歩いてレストランをさがしているとき、
なるだけひとがはいっているところを探してはいったのは、よかったみたい。
今回の旅では、ほんとうにおいしいものにたくさん出会いました。


あきが食べた後。
いかにおいしかったかがわかる。

レストランの前に停泊していた、バイキングシップ。


9月6日 Norway 15日目

最後の日。
明日は、早朝の出発となる。
犬を連れて、最後のリンゲンベリー摘み。

セルさんのパン。

塗り残しを、ダイソーで買ったわたしの水彩筆でぬる。



窓も入って、後は、内装をのこすのみ。

最後の犬たちのとのたわむれ。

先日の霜で、葉っぱはこのとおり。

畑は、ほとんど、耕されていないので、私たちが、スコップでほりおこし、石をとりのぞく。
どうも、フラットな畑が好きらしい。耕してないので、コケが生えるほど、硬い土。
これでは、野菜はそだたないだろうとおもった。
耕運機で耕せば、30分もあればおわるような小さな畑なのだけど、
そういう機械はない。
たぶん近所にももっているひとはいないよう。
だから、人力のみ。
畝は、かなり、ひろくなりすぎたので、後で、修正してもらわなければならない。




最後の仕事のあと、
隣のアンさんのところが、レッドカラントを摘みにおいでというので、みんで歩いている途中。
わたしたちは、見下ろしているように見える。

これが、レッドカラント。

かなり、すっぱいベリー。
これは、野生ではなく、庭に植えられたもの。

アンは、馬を3匹ももっている。

どれも、とてもひとなつこくて、かわいい。
馬が、近づきすぎて、挟み撃ちにされているあき。

夕方は、馬は、小屋に帰るので、ロープをもたせてもらった。

うまれて、はじめてでちょっと緊張。

レッドカラントを摘ませてもらい、馬とも遊んだので、帰宅。

歩いてかえったとたん、アンさん馬で登場。

なんと、あきを乗せてくれた。

馬の鞍。
はじめて、しみじみみました。
これは、アメリカのテキサス産でした。


動物は、育て方しだい。
上手に育てると、ひとなつこくなる。
人間もそうでしょ?
アンさんのいうことあたってるかも。
うちの猫、抱かれのを嫌がるのは、どうもわたしの育て方に問題があったのかなー。

アンさん、やはり、さまになってます。
おかしかったのは、電気フェンスの向こうの3匹の牛たちが、
馬に近づきたくて、しょうがないようす。
牛の首のベルがじゃらじゃらなり響く。
よくきくと、おなじファームからきたらしい。
牛が’馬にハロー、元気?
ってでもいってるようだが、
馬は、ちょっとおすましで、ちょっと、声かけないでよこんなとこで。
とでもいいたげ。


最後の夜。
セルさん、またまた、おいしいものつくってくれました。
ノルウエーの伝統的なシチュウ。
豚の足と、イエローまめです。
豚の皮の部分がとろっととろけと、もう感激。
このシチュウには、はいってないけど、
つめの先まで、食べるらしい。
豚の足先まで食べるのは、
中国人だけでは、なかったことが判明。

今日、取ったレッドカラントのデザート。

クリームをいれて、ぶちぶちにつぶしてたべる。
ちょっと、すっぱいフルーツなので、クリームのまろやかさと、溶けあって、最高。

ベッドにいくまえに、最後の夜だからと、カードをかいてプレゼント。

私は、あなたたち一人ひとり、1匹1匹から、こういうことを学びましたうんぬんということが書かれている。



靴のドライヤー。
2週間もいて、やっと、写真におさめた。
雪で、靴がぬれると、靴のなかにこれをいれておくと、
電気ヒーターとなり、かわく。
豪雪地帯では、1家に1個かも。

先週、あたらしい玄関の部分の増設の一段落を祝って、あきが、書いたカード。


いろいろあって、この家にいる隣のおじさんセルさんへのカードは大笑い。
マッシュルームの上に足をおいていて、
小林旭のよう。
食べられるきのこと、食べられないきのこを即座に見極められる技をもっている。
森の見張り番のような仕事をしている人だから、まー当たり前なのかもしれないけれど。
きのこのスープから、なんだかんだと、おいしいものを
魔法使いのように、つくってくれた。

労働力を提供しているとはいえ、こんなにおいしいものを毎日いただいていいのかとおもうくらい。
できれば、レストランをやりたいという彼の夢がかなうことを祈りたい。

きのこといえば、
日本でのさくら開花予報のように、
きのこ予報が毎日のように新聞にでる。
その新聞の写真を撮り忘れたのは残念。
わたしたちのさくら予報を笑っていたけど、こっちからすると、きのこ予報のほうがよほどおかしいけど。ところかわればいろいろあるもの。