Monday, April 30, 2018

Bye bye sewing machine





先日、信号待ちの時に、ピヨピヨと、鳥の鳴き声がすることを思い出すと書いたのだけど、おおばかだった。
あれは、歩行者のかたがたにリラックスしていただくためなんだと、今まで思い込んでいたのだけれど、これが理由がほかにあることをたまたま聞いていたラジオで知った。
視覚障害者のためだという。
なるほど、そういわれれば、そうよね。
信号が見えないひとたちへ、音でうながしてあげるということなわけで、私はずっと、勘違いをしていた。

こういう勘違いが、ほかにもあるのだろうなとおもう。

いまは、EU問題で揺れに揺れるイギリスだけれど、18年前日本の8か月ほど、住む機会があった。ベビーカーを押してどこまでも行けるあの国は、天国にみえた。
電車と道路の段差がない。
買い物をするにも、どこへいくにも、
ベビーカーを押して不便を感じない国だった。
おまけに、犬までのっている。
ちゃんとしつけられた犬たちは、びっくりするほど、
静かに座っていた。
電車の一番広いあたりは、ベビーカーと犬で、占領されていたが
迷惑そうな顔をするひとはだれもいなかった。

ところが、日本にくると、ベビーカーとか、車いすで快適に暮らす街の作り方になっていなかったことに気がついた。自分がその立場にならないと、わからないことがある。


あの、ピヨピヨの信号の、ピヨピヨの鳥の鳴き声の提供は、
日本野鳥の会らしい。日本も、がんばっているのよね。







Sunday, April 29, 2018

Towards the sound






相手が何人であろうと、どんな状態であろうと、相手の立場になって、してほしいことをしてあげる、ということ。
自分自身を完全に与えることこそ、人間関係の目的なのです。
わたしになんのメリットがあるのか、とばかり、考えるのは、やめましょう。
無条件で与え、相手の対応を無条件で受け入れましょう。
たとえ相手がどれだけ嫌な態度をとったとしても、憎しみに対して憎しみで返し、怒りに対して怒りで対応してしまうとしたら、それは、相手の態度の問題ではなく、あなたの問題です。
オレンジから、リンゴの果汁はでてこないように、あなたの内側にあるのが愛ならば憎しみを返すことはできなくなります。

ウエイン W  ダイアーの言葉は、重い。


憎しみは、なにも生み出さない。

もう、ずいぶん前のことだけれど、
毎朝、電話をしてくる知り合いがいた。
毎朝、毎朝、飽きもせずに、
人の悪口を並べ立てる彼女にすっかりうんざりしてしまっていたわたしは、
その後、交流を絶った。
いつも、ネガテイブなことを言ってる人のそばには
いないほうがいい。
いつも、いつも友人に囲まれている知り合いがいる。
彼女は、人のことを悪く言った試しがない。

誰も、明るいほうを見て、生きていたいとおもっている。










Saturday, April 28, 2018

Still life





今日は、インチキして、昔の絵。

この町に住んでいる日本人は、仲がいい。
月に1度ほど、
集まって、お茶をしながら、
情報交換。
主婦があつまると、
子供の話から、
学校のはなし、 
夫婦の話から、投資の話までいろいろと、
盛りだくさん。
わたしが、物を持たない生活にあこがれる話をしていると、
一人のひとが、
終活ですか?
というので
そういうことね、
と返した。
いやー、子どもがいなくなると、
こんなになにもかもいらないくなるものかと
驚くわーなんてことを言っていた。

その夜、終活ですかといったひとから、謝罪のメッセージがはいる。
終活なんて失礼なことをいって、申し訳ないという。
わたしは、なにも失礼なことはないわ、なんでそうおもうの?と
逆にきいた。
人は、死について語りたがらない。
これは、どうしてだろうといつも不思議におもう。
遅かれ、早かれ、最期のときがくる。
もっと、語るべきなのではないだろうかと思う。
誕生日をあれほど祝ったのだから、
最期の日だけを、まるで、存在しないかのようにするのはおかしい。
避けては、通れないのだから、それにむけて、準備をすることは当たり前のことなのだが、なかなかそうはならない。マー私も、この年になったから、こんなことがいえるのだろう。



倉庫の整理で、
小さな絵がたくさんでてくる。
そのまま処分ももったいないので、
こんな感じで、絵手紙をつくる。
大きな絵も、絵手紙になりそうなところを切り取って、
絵手紙をつくる。
母が楽しみにしているのか、してないのかはさだかではないけれど。
ちょっと、恩着せがましいかなとも思う。

Friday, April 27, 2018

Yuzuru Hanyu






”死後の人生のために、今を生きている。”と彼女はいう。

ここに、18年いるけれど、モスリムの人と宗教について、話をする機会はなかった。宗教の話は、どこに行っても繊細な話題で、話にくいのは同じ。

私は、個人の差があるけれど、イスラムほど、宗教が日本人の生活の中に、入りこんではいないことをいうと、彼女は驚いていた。

イスラムでは、火葬はしない。
その理由は、死後の世界があるからだ。
それは、聞いたことがあった。
死後の世界は永遠につづくという。
今の世界は、60歳だの、70歳だの、80歳だので、
終わってしまうが
死後の世界は、永遠につづくという。
その永遠に続く死後の世界のために、今を生きているという。

あなたは、死んだあとどうなるとおもうのかと、
彼女が訪ねるので、
死後どうなるのかということに、真剣にむきあったことがないと正直に答えた。

死後にもう1度人生があるというイスラム教の彼女からすれば、それはとんでもなくおかしな回答だったにちがいない。

もう1度生まれ変わるという考え方もあるけれど、人それぞれ違うと思うということは、付け加えた。日本では、そのあたりは、多様性に富むと思っている。モスリムのひとたちが、コーランを読んで、そのことに、一緒に、焦点を当てるということはしない国民だとおもっている。

自爆によって、たくさんの人の命を奪ってしまう人についてどう思うのかきいてみた。

あの人達は、イスラムの考えを間違って解釈しているのだと悲しそうに彼女は言う。


人の命を奪う行為は、仏教の世界でも、キリスト教でも、どんな宗教でも起こっているのに、イスラムだけに異様に焦点があてられるのは、納得がいかないという。

では、なぜ、イスラムだけに、焦点があてられるとおもうかの私の質問には、わからないと、ため息交じりに答えただけだった。

モスリムの女性がスカーフをするホントの理由も、知ることができた。
女性の髪は、男性にとって、セクシーな物にうつる。
それを隠すことによって、セクシーなもので、女性が男性に評価されるのではなく、
どういう人間性をもっているかで、評価されるがためにスカーフでそういう男性を惑わす部分を隠すというのが本来の考え方だという。

彼女は、日本の宗教について知りたがっていた。
お互いに知りたいことがたくさんあったけど、時間切れだったので、
もう1度機会をもつことにした。









最近、インスタグラムに凝っている。
ビデオがスマホで、1分足らず作ることができる。
この便利さには、ほんとに感動。
毎日出す、母への絵手紙も、最後のタッチを加えるビデオをつくって、インスタグラムにいれる。
こうすると、何を送った一目でみることができて、いい記録になる。
盆とに便利な世の中になったものだ。

では、また、あした。





Muwaiji village, Al Ain







ここにいるとないものが日本にはある。
日本には、ないものがここにはある。
あたりまえだけれど。
ここで、信号待ちをするたびに、
感じることがある。
なんと、ここの信号はしゃべらない。笑

日本の信号はしゃべる。
ピヨピヨと、鳥の鳴き声がしているときに、
信号は、緑。
何秒待ってくださいと、
カウントダウンの表示がはいるところもある。


日本に帰ると、とにかく、音にあふれているとおもったものだった。
ここには、音というものがない。

スーパーにいっても、
割引商品のアナウンスはなく、
お客さんがカートを押す音くらいしかない。
いらっしゃいませーの声もいっさいないので、
日本人が買い物にここにくると、
拍子抜けするかもしれない。

ドアが開きますと、
ドアがしゃべり、
現金引き出し機をつかえば、
お金を忘れないで持っていくのよと教えてくれる。

電車をまっていれば、白線まで下がれとのアナウンスがあり、
電車にのれば次は何駅で、乗り換えですとおしえてくれる。
こういうサービスは、欧米にもない。
駅は、自分でちゃんと調べておいて、
降りる所を確かめておかないとひどい目にあう。

とにかく、日本は、どこへいっても、
音であふれかえっていて、
若いころは、わずらわしいなーとおもったものだった。

先日、郵便局まで歩くときに、うちのアパートまえで、ひとつだけ、
信号をわたらなければならないとき、
突然、あの、ピヨピヨの音をおもいだしたのだ。
あーここで、日本だったら、
ピヨピヨなって、
人間様、渡れますですサインがでるのに。

私が、毎日聞いている音を
思い出してみた。






Thursday, April 26, 2018

Waiting 6


 11年前に描き始めたころのがでてきた。



昨日は、運動不足解消だとばかりに、
郵便局まで歩く。
残念なことに、
ここには、
ポストというものがそのあたりにあるわけではない。
ほとんどの人が手紙を書かなくなったこのご時世に、、
ポストの必要性がなくなったのだろう。
ここから、
車で、5分ほどのところに、
郵便局があって、
そのビルの前にポストがある。
車で5分なので、
それほど遠くはないしと思って歩きはじめけど
かなり後悔した。
街頭がないところがあり、
結構こわい。
こんなとき、ひとりというのは、心細い。
ここでは、ほとんど歩くということがない。
人が歩くような
道路の作りかたになっていない。
どこへ行くにも、とにかく車。

あともどりすることもできず、
歩く。

結局、往復で、1時間10分もかかった。

毎日、母に絵手紙を出している。

近くに家族が住んでいるとはいえ、
基本的には、
一人暮らし。

父のような、
悲しい最期は、
させたくはない。

だれかが、頻繁に訪れることが
そういう最期を
防ぐ手立てだと思うので、
郵便屋さんが毎日
行くように絵手紙をだしている。



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絵手紙用にわざわざ絵をかくことは、ほとんどなくて、
レッスン用に、練習したものとかを
葉書きサイズにカットして送る。

郵便やさんも、いくら、なんでも毎日かいなと、
結構あきれられているかもとおもったりするけど、
こればかりは、しょうがない。

Tuesday, April 24, 2018

Al Ain, UAE


羽生氏に挑戦していたが、なかなかむずかしいので、気分転換に今日は、久しぶりに、
アルアインの町。


昨日は、久しぶりに、ここに住む日本人が集まった。
しゃべること3時間。
しゃべることの大切さをしみじみ痛感。
なかなかさらっと、自分の言いたいことが言葉にならない。
あーだとか、えーっとだとかが、
どうしても、でてきて、
自分でもいらいらする。
結局何事も、訓練だなと思う。

30代、40代、50代、60代がいっしょに
テーブルを囲むというのは、なかなかいい刺激。

若い人は、子育てで大変。
老後のことは、まだまだ先のこと。
子どもが手から離れたチームは、
とにかく、老後の話に、花が咲く。
いかに、ぼけないで、生きていくかを
日々研究中のわたし。

最近行きついたボケ防止策は、声を出すこと。
これほど、頭に刺激を与えることはない。
もちろん、運動も食事も大切だけれど、
自分のいいたいことを
完結にしゃべる努力をすることほど、
大切なことはないとおもっている。

小泉さんも言っている最良の策は、自分のしゃべっているビデオをみること。

わたしも、ときどきするのだけれど、
恥ずかし手くて見ていられない。
私ってこんな声してるのとか、
こんな表情なのとか。

非常にがっかりするのだけれど、
上手なしゃべり方の本を読むより、何より効果的。



あと3週間でラマダンがはじまる。
モスリムのひとは、新しいドレスを買ったりとか、
羊を乗せたトラックがうろうろしたりとか、ラマダンムードになってきています。


Monday, April 23, 2018

Waiting 4


心を奪われる。
なんて、歌の歌詞見たい言葉が頭をよぎる今日この頃。
決して、美しく整った顔ではなく、
そのひたむきさに、
心を奪われる。
なにかを、
なしとげる人は、
他人にどうおもわれるなんてことを
気にしていないことないかと思う。
ただひたすら、自分の夢を追いかけるあまり、
周りのことなど
気にするひまはない。
そのひたむきな姿に、
人々は、
魅了される。


羽生氏の写真をネットで見ていると、
なんと、上半身裸での、スケートをしているものが数枚あった。
あの、細い細い体に、あれだけの、筋肉を隠していたのかと、
尋常ではなく、おどろいた。
あの土台あればこその、技なのだなーと、
うなってしまった。


Sunday, April 22, 2018

To conect with people








日本人大嫌いとか言われた試しがない。
マー本人を目の前にはいわないだろうけど、
基本的に、日本人は、なにかと敬われる傾向にある。

先日インド人のお医者さんが、僕医者なんだけど、
いろんな病気を抱えていてねーと、
溜息まじりに彼が吐露したときも、
日本人っていいよねーの香りがただよっていた。

肥満の人ほとんどいないし。
そうです、先進国で、肥満の割合は、
一番低いといわれておるのでございます。
なんてことを、自慢気にいったりした。

ホント、日本ってすごいよね。
きれいだし、
マナーあるし、
お金もちだし、
食べ物はおいしいし、
多種多様な文化であふれているし。

で、なんであなたはここにいるの?
というのが、最後に私に向けられる質問が常。

イヤー、マーそういわれても、いろいろ訳ありでございましてねー。

と、ことばを濁すのだが、
待て、待て、そういえば、わたしはなぜ、ここにいるのだろう。
と、自分に問うてみたりする。


Social mediaの影響は大きいかな。
どこにいても、世界とつながっているとの
勘違いのもとに生きているのだと思う。










Saturday, April 21, 2018

Dancing


 顔が似てないと、全く意味がないのだけれど、
まーいつかは、似ているかもと、のんきに考えている。
昨夜は、数枚描いてみた。
もちろん、会ったことないひとなので、写真から描くのだけれど、
本人に、怒られない程度のものは
描けるとよいな。
腕もとても、細いので
ちょっと肉付けたり。
太った羽生君。

最初のより、少しは、それらしい。

彼の首の長さは、尋常ではないので
スケッチを失敗したようにみえる。

氷の外での、人柄もよいらしく、
今日は、日本ではパレードで大盛り上がりらしい。


Friday, April 20, 2018

Playing with Nescafe








最近、倉庫から引っ張り出した絵があまりにも、平凡なので、
何か、その絵に面白いことしたいなーとおもいはじめている。
これは、何年か前に描いたものだけど、
Facebook にのせたとき、1本の足どうしたの?
と、コメントをもらって、痛く傷ついたもの。
足が、あがっているように見えないということは、
問題ありと、なんとかしないとおもったまま、
お蔵入り。
よーし、どうせなら、コーヒーをバシャバシャとばして、
もう、なにかなんだか、わからないものにして、
タイトルは、”Growing" とかにしてやろう,
とおもっていたが、鳥の顔をみていると、
なんだか、やめてそんなのみたいな表情にみえてきて、
結局、ちょいと、
コーヒーを、羽にのせて、
おわってしまった。



よーし、明日こそ、ががーーんと、おもしろいものを!!!








The day I swapped my dad for two goldfish.  Neil  Gaiman


友達の金魚がほしいばかりに
新聞ばかり読んでつまらない
自分の父親と交換してしまう話。


母親におこられて、
父親を取り返しにいくも、
ウサギと再交換されてしまっていたあたりが、
物語のピーク。


最終的には、友達の友達の家のウサギ小屋にいた父親を連れて帰るのだが、
子供の本とはいえ、
社会を反映していそうで、
怖い話。

ストーリーのなかで、
おとうさんと、
何かを交換するなんて2度としてはいけませんよ、
と母親は息子に説教をする。


この本のあとがきに書いてあるのだけれど、
この作家の息子がある日そういうことを言ったらしい。
早く寝なさいという父親に、父親が金魚になったらいいのにという、
彼の息子の言葉がそのまま本になってしまった形。

笑って読めない子どもの本を、1冊選べといわれると、
多分これかもしれない。


母親は、2度とおとうさんと、金魚を交換するようなことをしてはいけませんと、
説教するが、理由はいわない。
あれは、妻としての美学のなのだろう。


では、また。
よい1日を。










Waiting



先日、病院に行ったときに、スケッチしていたものから、おこしてみた。
かわいいおねえちゃんだったのに、
何か怒っているような、悲しいようなおねえちゃんになった。

ポスターカラーのゴールドをどうやって使おうかと
迷っているうちに、時間切れ。


最近は、偶然にも、
夫婦間の問題を聴くことが多い。
そうか、
皆多かれ少なかれ、
ほとんどのひとが
いろんな問題を抱えている。
私が解決できるような問題ではないのだけど、
人の話を聴くたびに、
1.どうして、妻と夫というのは、
一番大切なことを話しあえないのだろう。
2.どうして、こうもまた、男と女はちがうのだろう。

の二つに行きつく。

いろいろな形で情報を得、解決しようと試みているにも
かかわらず、いい方向に向かっている人は少ない。

いろんな話を聴いてきてわかったことがある。

内は、まだいいほう。

子供が巣立ったあとの夫婦関係というのは、
なかなかむずかしい。
わたしもすっかりそのことに、直面しているわけで、
絵なんて描いている場合ではなくて、
結婚カウンセラーになろうかなとしみじみ思ったりする今日この頃。












Wednesday, April 18, 2018

postcard 6












1972年初版の動物図鑑とも、ついにお別れの時がきた。
日本からいつかもってかえって、
子供のレッスンのときに
よく役立った。


タイトルの右に、wide colorという言葉がつけくわれているが、意味がわからない。

子どもは、残酷なもので、
大人は、なんでもできるとおもっている。

いきなり、象を描きたいとかいわれても
どこに耳があって、
どこから、牙がでてるとか、
パンダのどこが黒かというのは、
記憶はしていない。
隠してもしようがないので、
私は、いきなり象はかけませんとか、
いきなり、イルカは無理ですと
いって、
本からよく描いた。

ネットで写真を手にいれるより、
こどもたちは、
本をめくるのが結構楽しそうだった感じがする。

お別れにあたり、
写真の納めさせてもらった。







1972年初版

標本図を描いた方々の名前がでている。



とにかく、この標本の描き方が気にいって、
ただぺらぺらめくるだけでもたのしかった。
いまは、なにもかもが
コンピューターにとって代わる時代。
こういうあたたかいイラストはずっとのこしておきたいもの。


一人の動物イラストレーター小出氏の情報はでてきたけれど、wikipediaがないので、
よくわからない。図鑑とかのイラストは理科美とよばれているらしい。

Postcard 5


人間の体は、まだまだ、未知の世界。
研究されつくしているようでも、
まだまだ、わからないことが多いのだと、今回のテストの結果でよくわかった。

今朝は、男と女の鬱の症状の違いに大きな違いがあることを
友人と話していると、
なんと、4時間も経過。

女性の場合の鬱はわかりやすいが、
男性の場合は、非常にわかりにくい。


ここで、主婦ふたりが
4時間にわたって、しゃべったことを
書き連ねると、
いくら時間があってもたりないので、
またの機会に。




Tuesday, April 17, 2018

Play with white


 土曜にレッスンにやってくる、中学生のアリヤちゃんは、K-POP大好きで、
ひたすらスターの絵を描くというので、
わたしは、すっかりきたえられてきた。
先週は、色の紙に、白のガッシュであそんでみた。
水彩紙ではないので、色ののりは、わるいけど、
それは、それで、おもしろい。



きょうは、いかに病院の血液検査があてにならないかという話。
ビタミンDのよしとされる範囲が、30-100となっているところ、
3年前は、16で、かなりわるかったにもかかわらず、
知らなかったので、
なにも
しなかったにもかかわらず、
昨日のテスト結果では、
22まで、
回復している。
ビタミンDをとる
方法はふたつ。

1、1日、20分、体の30%を出した状態で、太陽の寝る。
2.ビタミンDのサプリをとる。
このふたつしかないそう。

ドクターに、ネットで、魚をたくさん食べるといいと読んだんですがというと、
魚にビタミンDはふくまれているけれど、
微量なので、1日に2キロくらいの魚を食べないとだめらしい。
死ぬまで、ビタミンD
のサプリをのみつづけるのですぞ、
といわれたときには、こわかった。
え、永遠にですかときくと、
そうですという。
1度、そういう体質になってしまったら、
サプリに助けてもらわないと、だめらしい。






こちらは、コレステロールの結果。
3年まえは、コレステロールが少々高く、食べ物に気を付けるように、忠告されていたけれど、何もしなかったにもかかわらず、オーケーの域になっていた。

何もしなくても、コレステロール値とか、ビタミンDの値というのは、
それほど、変わるものなのか、それとも、血液検査の前に食べていたもので、
大きく左右するのか、どうも、よくわからない。

かなりの項目でのテストの結果、いまのところ、大丈夫ということで、ほっとした。

私を見てくれたお医者さんが、ため息をつきながら、
あなたの、血液検査がうらやましいという。
どう意味いみかをたずねると、
僕は、肥満気味だし、糖尿ももってるし、ビタミンDにも、あれにも、これにも問題があってねーという。医者の不養生を絵に描いたような会話になって、日本にも、そういう言葉ありますよとはいっておいた。

インド人の彼は、162㎝、52キロの私の体をみて、日本人ってホントに、太った人がいないんだけどなんでや?という。
日本では、太っていると、軽蔑される傾向にあるのか?という。
いや、それは、よくわからないけれど、
体のタイプとしか言いようがないと答えた。

インドでは、太っていることがお金持ちで、繁栄のシンボルとなっているその文化の背景が、数々の病気のもとになっていると彼はいい、出っ張ったおなかをみつめていた。
そういわれれば、日本では、太っていることイコール繁栄のシンボルとはなっていない。

国が違うと、こうもちがうものか。
他国を知るということは、楽しいことなのです。



Sunday, April 15, 2018

A leader


昔昔に描いたものを、
見るということはほとんどないのだけれど、
ちょっと、この絵をいれてみることにした。
すっかり、思い出に浸る日々。
これは、写真から、描いたもの。
影を汚いグレーで塗っていたんだーと、
自分の作品のひどさから学ぶ。
どうしてあのころ、
これでいいとおもっていたのだろう。

写真を使って、
写真のように
描こうと必死だったころ。

シャツのしわまで、一生懸命に描いていたので、

青の絵の具をのせて
みた。

これは
テーブルの上に置いたランプを使って、写真を撮った。
お皿と筆の影の色が面白いので、
後日これに
挑戦してみよう。
   





postcard 4



UAE 名物デイツの木を描いてみたが、これは、ここにいる人しかわからないかもしれない。スマホからの写真を使ったので、
昨日に続き、ちょっとボケ気味の写真で、残念。





昨日は、体のあちこちが痛み、このままでは、眠れないと、夜ついに
マッサージにいく。
2か月に1回ほどしかいかないので、行くたびに、すっかりご無沙汰ね、いそがしかったの?
とか、行きつけのバーにひさしぶりにいくおじさんって、こんな気持ちなのかなーと感じるひとときを味わえる。
いつも行く、タイのマッサージ屋さんでは、ヤダちゃんを指名する。
このひとは、神の手をもっている。
何も言わなくても、さわっただけで、どこに問題があるかすぐにわかってしまうひとで、
こんなマッサージの人には、お目にかかったことがない。
私よりも、小さなからだなのに、すごい、パワーで、ぐいぐいと指がはいる。
ほとんどのとき、あまりの痛さに涙がでる。しかし、
一晩寝た後の、すっきり感を何度も味わっているので、
我慢。
ヤダちゃんも、そーりーなんていいながら、かわいい顔しているのに、
すごい力で、押してくる。
マッサージの最後は、おなかのマッサージ。
これが、とにかく痛い。
あなた、腰が痛いといってるけど、
問題は、腰ではなくて、内臓にあるわねと、ヤダちゃんはいう。
病院に行ったほうがいいと思う?
と聞くと、万が一のことを考えていったほうがいいわね。という。
腰が痛いとかいうのは、ここ最近なかったことなので、
おかしいとはおもっていたけれど、
それが内蔵からきているというのは、
考えなかった。
胃の周りの筋肉と、腰の筋肉は、関係しているから、
おなかを押して異様な痛みがあれば、
腰痛は、そこから起こっていると考えるのが普通だそうな。

病院などというところには、
極力いきたくないところ。
1日様子をみてみることにする。








Saturday, April 14, 2018

postcard size 3


貧弱な水彩紙を使うと、バックリングが起きてこのように紙が反りかえってしまう。
これは、実は、2個のトマトを描いていたのだけど、
あまりにも、平凡なので、小さいほうをけしてしまった。
いつも、18色くらい入ったパレットから描くのだけれど、
お皿にいる分だけの絵の具を
出して描くというのは、なかなか新鮮。




2週間、イギリスから来た男の子が滞在中。
彼には、特技がある。
小さいころから、
韓国ドラマ、日本のアニメが大好き。
ホントに、何時間もあきることなくみていたらしい。
今でも、相変わらず好きらしいが
あまりにも、見すぎて、
かなりの言葉を覚えてしまったらしい。
ヒンズー語もわかる。
書くことを習っていないので、
書けないが
聞き取りは、ほとんどできるという。

英語、ネパール語、ヒンズー、ハングル、日本語。

テレビばかり見ないで、ちゃんと勉強しなさいと、
子供たちは、親に言われるのは常だが、
言葉の習得に一役かっているとなると、
馬鹿にはできない。
このように、
言語をさらっと、
習得してしまう人がいて、ほんとに、うらやましいと思うと同時に、
何でも、中途半端ではだめだなということ。
どうせやるなら、とことんやる。



Thursday, April 12, 2018

postcard 2



どうして描いているのかを知りたいという問い合わせがあったので、
しばらく、母に送る絵手紙をつかって、
プロセスをのせることにしました。
ほとんどが、3色で描けるということに、あまり、
気が付いていない人が多い。

日本人の画家さん、青江氏はそれを、とことんつきつめているひとで、
すごいと思う。
画材屋さんで、ホルベインで、青江氏の使っている3色というと、
でてくる。

材料  Holbein
パレット ダイソウのお皿。
葉書き 水彩紙
筆   その辺にあるもの。筆は、高いものも買ったけど、なぜか、すぐにそのへんで買った安物をつかっている。12年間描いているなかで、いろんなものをつかったけれど、
このような、はがきサイズを描くときは、絵具の含みを考えなくていいので
なんでもいい。ただし、大きなサイズを描くときは絵具の含みが大切になってくるので、
質のいい、大きなものを使う。



では、また明日。
よい1日を。



Postcard



いったい、何色を使って描いているのかと、
描くのに、
材料は何がいるのかを
しばらく確かめて見ようという試み。

 
絵具は、ホルベイン。
筆は、その辺で買ったもの。
パレットは、ダイソウのお皿。
紙は、水彩紙をハガキサイズにカットしたもの。

Tuesday, April 10, 2018

Post card size


絵を描き始めたころ、
どうしていいのかわからなくて、
よくハガキサイズの絵を描いていた。
随分前に、日本に帰ったとき、絵手紙教室に1度参加させてもらったことがある。
10㎝x15㎝のなかになにかをいれるというのは、
簡単そうで、そうでもなかったことを今でも覚えている。

絵手紙は、基本的に、
絵手紙用のハガキを使う。
滲みを楽しむためだらしい。
日本には、ほんとに、いろいろな種類の、絵手紙用の
ハガキが売られていて、感心するばかり。
わたしは、ふつうの水彩用のはがきを使う。
何にも、アイデアがうかばないときは、
冷蔵庫をあけたりして、
一つ何かを引っ張り出したりして描いたりしていたが、
最近は、なにを描くでは、
苦しまなくてよくなった。

うまくなったとわけではなく、
寛容になったからだ。
寛容になるということは、
どんなできばえでも、
よしとすることにしたからだ。

そうしなければ、
毎日続かない。



娘の体調はもどり、
健康の大切さをかみしめつつ、
きょうは、アブダビまでの、
運転手になることになっている。


では、よい1日を。

Monday, April 9, 2018

At Haza bin Zayed Stadium


ほんの小さなものを体の中にいれただけで、
こんなになってしまうのかと、かなり、昨夜はとまどった。
オランダから輸入されてくる
塩漬けの魚がある。
日本によくある塩で絞めて、押し寿司につかわれるようなもの。
生で、塩漬けしてあるので、日本人には、受け入れやすく、
私も、時々買っていた。
数日前に開封した、その魚ののこりを
冷蔵庫からみつけ、
なにかおかずはない?
と娘がいうので、
これ食べる?
と、私が少しを味見したあと、
大丈夫よ、
まだ、食べられる、だって、塩漬けだからね、
などと、あとで、
冷静に考えると馬鹿なことをしたものだとおもったが
とき遅し。

娘は、おいしいわこれ、
なんていいながら、
うれしそうに、ほんの3センチ四方ほどの
塩漬けの魚を完食。

それから、2時間後。
嘔吐がはじまった。
結局、病院にいき、
嘔吐を止める注射をもらったが、
効かなくて、夜通し嘔吐はつづいた。
もらった薬を
飲ませたけれど、
薬も吐いてしまった。

お医者によれば、食べ物自体が問題ではなくて、
体のなかにあった、なにかのバクテリアがその古い魚によって、
触発されたかたちといっていた。
下痢がなく、嘔吐だけのときは、
そういうふうなものらしい。
まーしかし、あの小さな小さな魚1片で、
こんなに、体がこわれてしまうことを
改めてしらされた。

私だけかもしれないが、
私は、一人のときに
自分だけのために食事をつくったりしないで、
冷蔵庫ののこりもの処分班みたいなところがあるので
その辺で、変に免疫ができているのかもしれないとおもったりした。

ごめんね、悪いことしてしまったと、
謝り続ける馬鹿な母親のわたし。

健康のありがたみを
つくづく知らされることになった。

健康なときは、ほんとに、健康に感謝していないなと、
反省中。

子どもを守るのは、親の役目だというのに、
なんてことをしてしまったのだろうと、
自分を責めた。

猛省中。





Sunday, April 8, 2018

Dubai downtown





昨夜は、4月に始まるサルサのクラスの宣伝をかねた、サルサの夜。
フリーだったせいもあり、
部屋は、もうたくさんの参加者。
エアコンは、稼働していたけれど、
あまりにも、たくさんの人の熱気で、
部屋は、かなりの暑さ。
サルサのインストラクターの、ゼインは、
ひとの心を一瞬にしてつかむ天才。

同じ人間とは思えない、あの、パワーにはだれもが
圧倒される。
底抜けに明るい雰囲気で、
サルサの夜は盛り上がった。
まー暗いダンスのインストラクターというのは、
いないのだろうけど。
とにかく、教え方がうまい。
かれは、ドバイ、アブダビ、イギリスと
飛び回る。

ああいう性格だから、ダンスのインストラクターになったのか、
なったから、自動的にああいう性格になったのか。

人々は、同じ時間を共有したいと思っていることを彼は、知っている。
ダンスが好きであれば、家でこっそり踊ればいいものだけど、
其れでは、楽しくない。
ひとは、ほかのひとと、
喜びを共有したいとおもっている。
共有するためには、
それをリードする人が必要となる。
何かを教えるということは、
その喜びを誰かと共有したいと思う人たちを
そっと、リードするだけのことなのだろうと思う。

音楽とともに、体動かすという、非日常は、
すべてのネガテイブな感情を取り去って、なんで
あんなくだらないことを
ぐだぐだ考えていたのだろうと思えてくるから不思議。



Saturday, April 7, 2018

Dubai marina



ドバイの人口のマリーナ
ボートを買いました。
といいたいところですが、
友人のボートにのせてもらいました。
これは、川に見えますが、
実は、4キロにわたって
人工的につくられた川。
マリーナにたくさんのボートがつながれていて、
そこから、こうして、走り、
海にでます。
こんなとてもつもない
人工の川は、6年前に完成したそうで、
わたしたちは、
全く知らない世界でした。
いったいどうやって、ここの砂をとりのぞいたのか。
ドバイがすることは、
いつも、とんでもない。

毎日雨がふるイギリスにうんざりした、
娘は、目いっぱい喜んで、
太陽のしたに、寝転がっていたら、
日焼けがすごく
いま大変な目にあっている。

Trust me

人が生きている中で行う様々な活動のうち、会話はどの程度の重要性をしめているのでしょうか。
私たちが、人生の中で、幸福感を得られるかどうかは、
会話の力によって、大きく左右される。

斎藤 孝


Thursday, April 5, 2018

Sunset, Al Ain centre





下の写真のところ。
車のなかから、
簡単なスケッチをする。
家で紙におこす。




上のスポットで、
車のなかから、
スケッチをしてみた。
あとは、
家に帰ってから、
ピンクの紙を作っていたので、
そのうえに描いてみた。
ここには、桜はない。
ここに、あったらなーという想像画を描いてみることにした。
全く何がなんだか、わからないスケッチだけれど、
本人だけはわかる。笑













思うことあって、
しばらく途絶えていた
母への絵手紙。
最近、毎日出している。
1枚90円ほどの、切手がいるのはいいとして、
日本みたいに
ポストがあるわけではないので、
わざわざ郵便局の玄関までいかなければならないのが非常に面倒。
絵手紙は、
やまほどある。
母にはもうしわけないが
母のために、わざわざ描いたものではなくて、
練習やら、
たまたま紙の残りがあったので、
遊び半分練習したのとか、
デモで描いたものとかを
かき集めて送っている。
多分、ここ、1か月は、絵手紙は描かなくてもありそう。

ついに、ここも消費税が導入されて、
いろんなものが高くなってきたけれど、
切手だけは、
値上がりしなかった。
ありがたい。

よーくみると、
母の隣人の愛猫の絵もあった。
今は、星になってしまったけれど、
絵の中では生きている。




Wednesday, April 4, 2018

Thinking about families



絵手紙にしようと、
はがきのサイズに線をいれてしまったあとで、
写真を撮っていないことに気がついた。
出稼ぎの人が80%超というこの国は、
家族を思うひとたちで、あふれている。



久しぶりに映画を見た。
もうどれくらい長い間映画というものを見ていないだろう。
娘が返ってきたときくらいしか
テレビは、つかわないので、
年に2回といったところか。

OKJAという韓国の映画は、なかなかよくできていた。
とても、CGとは思えない。
あれを、映画館のスクリーンでみると
迫力あるんだろうなー。
韓国人の女の子が主役なので、
韓国語で、場面は進む。
字幕がないので、わからないとおもっていたら、
娘の友達が英語に訳してくれる。
彼は、ハングルがわかるわけではなく、
ほとんど、映画の筋から想像して、
こういっているにちがいないと
勝手に訳する。
そのたびに、おおいにもりあがった。
彼は、日本語がすこしできる。
すべて、
日本のアニメで、学んだというので驚いた。
会話の中で使用頻度の高い言葉は、だいたい
記憶していて、
発音もかなり日本人に近い。
結局、なんでも好きなことは、
上手になるってことだなと思う。

映画を見終わって、
泣いたのはわたしだけで、からかわれた。
暗がりで、4人で見る映画はおおいにもりあがった。
何を見るかも大切だけれど、
誰とみるかが大切なんじゃないかと思う。
この映画を、わたしがひとりでみたら、
これほど楽しかっただろうか。
共感できる誰かを持つことがいかに
大切かがわかる。

旅行でもそう、
これは、私の場合だけだとおもうけれど、
どこに行くとかは、あまり大切ではなくて、
そこがいかにいいところかを
共感できる誰かがいて、
やっと成立するようにおもうのだ。
そこが、ちっともよくないところでもいい。

映画だって、よくできているものもあれば
そうでもないものがあるように、
旅先だって、思っていたより
よくなかったりすることはよくあることだが、
それでも、それなりに共感する人がいて
こそ、楽しい時間につながるのだろう。

結局、人は、共感できる人を求めて生きているのだと思う。




アルアインは、今日は、39度になる予定。
では、また明日。

Tuesday, April 3, 2018

Team work








人は、いろいろな状況で涙を流す。


大切な人をなくした時。
自信をなくしたとき。
自暴自棄になった自分にうんざりするとき。
心ない人の言葉に、一喜一憂する自分の懐の小ささに気づくとき。
信用してもらってないことに気づくとき。


"When life knocks you down, keep getting up.
Believe in yourself, even if everyone else around you does not.
Believe you can do better, be better.
Don't allow others to set your limits.''

Malore  Blackman


崩れ落ちても、起き上がりなさい。
自分を力を信用しなさい。
たとえ、周りのだれかが、信用してくれなくても。
良くなっていく自分を想像しなさい。
そして、あなたには、なんの未来もないと
否定的であるひとのその意見を、
信じてはならない。


とか私は、勝手に和訳している。

人は、必ず周りの人を気にしてしまう。
人は、幸せそうにみえるもの。
自分は、なんで認めてもらえないのかと、
若者は、気づつく。
人と比べるから人は、気づつく。
人は人。
自分は自分。
人それぞれの能力はさまざま。
若ものは、それに気づくことなく、
先走ってしまう。








Al Ain Square

いろんなスケッチを組み合わせて、庭のお世話人3人を描く。
写真もつかい、
想像も使う。
顔がよくみえないところがいいところ。



毎日のように、
うちのバルコニーの前に来てくれる。
ひそやかに、スケッチしたり、
写真撮ったり、ちょっと失礼かなと
思いながら。
白い帽子をオレンジのジャケットは、
いろんなことを
語っているように感じる。
皆で稼ぎ。
私たちと同じ。
家族を国に残して
彼らはやってくる。

Monday, April 2, 2018

Haza bin Zayeed Studium garden




働く人に目が行く。
額縁に入れるような、
絵にはならないけれど。
彼らの朱色の
ジャケットと、
帽子が
アパートの庭に来るたびに
見てしまう。




7分で、絵手紙の絵が描けるか
よく生徒さんとやってみる。
時間制限はいい。
もっと、触りたいとおもっても、
時間いっぱいで、
できないほうが
新鮮な感じが残る。
時間があればあるほど、
結局触ってしまい、
汚くなってしまう。
もうちょっと、
ここをどうにかと思うくらいがちょうどいいのではないかと思う。