Saturday, March 31, 2018

待つ





           昨日のデモから。組んだ腕は、さらにむずかしくなる。

         娘の同級生の写真がpcからでてきたので、それから、描いてみようということになったけれど、これが、なかなか手ごわい。





わたしたちは、
幸せだから、笑うんじゃない
笑うから幸せを呼べるんだ

覚 和歌子

これは、彼女の詩の一部分。

この町にパキスタン人の
写真屋さんがある。
行くたびに、Hi my sister,どうしてたんだい?
というので、わたしも、Hi brother, げんきだったわよ。
と答える。兄妹の契りを交わしたような関係がどうして、
できたかというと、ひとえに彼の人柄だ。
次々につぶれる写真屋さんだけど、
彼のところは、次々に、お客さんがくる。
とにかく、明るくて、
どうせ写真にお金払うんだったら
あそこにいこうとなるようだ。
彼に学ぶことは多い。

先月ちょっと、実験をしたことがある。
ぶすっとした顔をして、
レストランで、持ち帰りのものを注文。
スタッフも、ぶすっとしていた。

数日後、今度は満面の笑みで登場。
元気に注文。
なんと、いそがしそうで、
ぶすっとしていた
スタッフも笑顔をみせてくれて
和やかな雰囲気になる。
ここのは、おいしいってきいて
わざわざ来たのよって言葉も忘れはしない。

人の気持ちは、伝わる。

だから、

この、’’私たちは、幸せだから笑うんじゃない、

笑うから幸せを呼べるんだ”

という言葉は、ほんとにそうだと思う。



ついに、4月です。


Friday, March 30, 2018

見えないものを描く

はがきのサイズに、花を描くのは楽しい。
全くの想像。
母に送る絵手紙が、たくさんたまっている。
日本のように、
ポストがその辺にあるわけではないので、
郵便局までいかないと、
いけないというのは、全く不便きわまりない。
近くのスーパーの玄関にポストがあったけれど、
取り去られていた。
理由は不明。
長方形の赤い、ポストが取り去られた後の
ぽっかり口をあけたところが
痛々しく見える。
最近は、手紙やはがきを送るということが少ないせいなのだろうか。
私には至って不便なのだけれど。

最近は、そういえば、手紙を受け取ることがにない。
銀行の残高証明くらい。


Blue 2









ここに来て以来の友人は、友達も多くて、底抜けに前向き。
だとずっと思っていただけに、先日の彼女の言葉は、かなり私を驚かせた。

時々、生きている意味があるのだろうかとおもったりすると言う。

私は、驚いて、あなただけは、そういうことを考えないひとだとおもったというと、
人は見かけではわからないわという。

そして、彼女は続けた。
私のことを愛してくれている人がいる以上、死ぬわけにはいかないのよ。

私が、愛するひとがいるからではなくて、死ねないではなくて、
私を愛している人がいるからとは、彼女らしい。




今夜は、娘のピアノが、ドバイにお嫁入りした。
まだ、彼女が3歳のころに、買ったもので、
うまく弾けなくて、泣いたりしていた彼女の後姿を思い出す。
片道2時間をかけてやってきたカップルはシリア人。
最近シリアのひとに辺に縁があるなと
嫁ぎ先がシリアのひとでなんだか、ほっとした。

体だけあればいい、物には、固執しないわ、なんてことをいいつつも、
思い出の詰まったピアノが運ばれてしまい、
ほこりがたまったピアノのあった床を掃除するとき、
悲しくなったりしたけど、
立ち直りは早い。
ピアノがなんやねん。

ピアノはなくなったけど、
それを弾いていた、家族が今日帰ってくる。
なんだか、不思議。
どんなに離れていても、家族なんだなと。
すみません、遠いし、かえって来るの面倒なんで家族やめさせてもらえますかとは
死ぬまでならないんだと、
昨夜は、しみじみと考えてしまった。

わたしを愛してくれている人がいるから、死ねないわなどと、
友人のような、かっこいいことはいえないが
少なくとも愛している家族がかえってくることを
待ちどうしく思う気持ちがあるかぎり、
生きて行けそうに思う。



アルアインの、今日の最高温度は、38度。
最低温度23度。
湿度16%。
ここに桜が咲いていれば、最高なんだけれど。

では、また明日。






Al Ain Oasis


18年も、ここに住んでいるというのに、
デイツの森であるところの、
アルアインオアシスを描いたことがなかったので、
やっとこさ描いてみた。

このサイズだと、人を入れてもなんだかわざとらしいサイズになるとおもっていれなかったら、
ちょっとさみしい。
ついついひとをいれたくなる。
私が、子供のレッスンでするのは、
自分が紙の上に落とした色から、
なにを描けるでしょう?
というもの。

何かをしっかりと定めて描き始めていくことばかりしていると、
それがうまくいかないとき、
こどもたちは、
才能ないのよねと、落ち込む。
楽しくないと、続かない。
続かないと、楽しくない。

アートには、失敗はないとおもいこませれば、
一石2鳥。
紙の無駄にもならないし、
失敗したという、刷り込みはなくなる。

趣味でも、人でも、楽しくないと続かない。
この人といると、すごく楽しいと思う人と人生を過ごすことと、
趣味というものは、よく似ている。

たのしくないとつづかない。
続くから楽しいのだ。


夕ご飯を食べるのをやめて、今日で5日目。
頭、シャープになっているかとたずねられると、

返事にこまるけれど、
一つだけ、
はっきりしたことがある。

体は食べものでできている。
しっかり、おなかのふくらみが減ってきているからよくわかる。

アルアインは、40度をこえています。
では、よい1日になりますように。





Wednesday, March 28, 2018

Looking for a dream

去年の暮れに、偶然、1日に1食しかだけで、やたらと、
健康な人のビデオをみたことがある。
なるほど、1日1食でも、人間大丈夫なわけだ。
彼は、取材の最後に、病院での健康診断をうけた。
なんと何の問題もなかった。

ということで
体の周りで一番大きいところが、ウエストになっているので、

1.これをなんとかせねばとおもっていたのと、
2.小食は、頭が冴えるらしい
3、食欲をコントロールできるか

との3つの理由から、
夕ご飯を食べないと決めた。
昨夜で、4日がすぎた。


人間がいろいろな欲望をもっているなかで、
一番コントロールが難しいのは、食欲だとおもっている。
ということは、
これがコントロールできるということは、
ほかのことは、なんでも大丈夫ということにならないか。
ということで、
今日は、5日目。
もう、食べないと決めると結構あっさりしたもの。
ランチを、ふつうに、
1時ごろに終える。
あとは、朝までなし。

わたしは、やたらと、いろんな人体実験(ちょっとおおげさだけど、
そのほうがやりがいがあるもんで。)が好き。
今回は、体にどれほどの変化があるのか知りたいとおもっている。
ホントに、私の頭はシャープになる?

今日は、頭がさえてきている?(笑)ので、
大量の写真の中から、
成人式の時の写真をいれましょう。
このぷりぷりのお肌が、なつかしい。
顔のデザインは、いろいろあろう。
しかし、こんなはちきれそうな
ころんころんのころがあったなんて。
残念ながら、ほとんど、原型をとどめていない昨今。
自分でもこれだれ?
と思ったのだから、確か。

今日から、2週間は、春休み。
また、ドバイ,アブダビ行の運転手になる予定。

では、よい1日になりますように。

Tuesday, March 27, 2018

Parallel




昔、昔描いた絵をめったに見ることはない。
倉庫のなかなから、
今日はすべてを引っ張りだしたら、
こんな鶏夫婦の絵がでてきた。

これは、シリーズものになっていて3枚セットだった。

奥さんがちゃんとついてきているかどうかを、
みながら、道路をわたるあの光景を、今でもおぼえている。
ちゃんと、虫がいそうなところを見つけて、奥さんを呼ぶ。
あー、なんて、男らしい!!!
妻を守る男の姿は、りりしかった。

この絵は、細かいことを言えばただしくない。
なんと、夫の影がない!





昨夜は、このアパートに住む英語の先生をしている友人と、
アパートの、周りを歩きながら、話をした。
女同士があつまれば、自然と家族の話になる。

女性が男性に求めているものは、いったい何だと思う?
経済力?
ホウヨウリョク?(カタカナで、描くと、薬みたいなかんじになる)
体力?(笑)
などと、なんとか力というものを、
求めていることに気がつく。
女性は、男にたくましくあってほしいとおもっているらしい。

ジャー、男性は、女性に何を求めているとおもう?
ここで、わたしは、つまってしまった。
いったい、あの不思議な生き物たちは、
女性に何を求めているのだろうか。

一つだけいえることは、
男性と女性は、永遠に、理解しあえる生き物ではないということ。
永遠に平行線のままなのだよ。
などと、この1枚の古い絵から、
思ったりした。

自分たちの間がうまくいっているように、
周りに見せかけることに疲れてしまったと彼女はいう。

私は、疲れているんだと、叫びたくなるという。
朝、7時に出勤して、疲労困憊でかえってきてから、
夕ご飯をつくる。

片方は、1日テレビをみている。
これで、叫びたくならないほうがおかしい。

彼女は、旦那さんに、経済力だの、ホウヨウリョクだの、体力などといった
たいそうなものを、今、もとめているわけではないのだとおもった。

彼女は、共感を求めているのだとおもう。
いかに、1日の仕事がたいへんだったかを、
聴いてくれるひとが必要。
旦那さんが、定年になった以上、彼女が稼ぎ頭になった。
戦場で戦ってきた女性には、話を聴いてくれるひとがいる。
女性は、問題を解決してほしいと、男性にもとめてはいない。
話をきいてくれるだけでいいのだが、
男性は、すぐに解決ボタンがオンになる。

話を聴いてもらっただけで、
女性は、問題は解決したみたいに感じてしまうという
不思議な生き物なのだ。
しかし、それが男性にはどうしても、理解できない。

女性:違う、私は、あなたに、解決してほしいと頼んでいるわけではなく、
ふんふん生きて行くのは大変だよねーと、
聴いてくれるだけでいいのよ。

男性:解決策がいらないんだったら、
話すなよ。時間の無駄ちがう?

とかなる。
ここで、男と女は、永遠に平行線となる。

女同士では、3時間もよどみなく話ができるのに、
夫婦の間では、3分ももたなかったりする。
解決してなんぼと思っている男と、
解決してほしいわけではないけど、ただ話をしたい女。

彼女がわたしにきいた。
どうしたらいいと思う?

私の一言。

解決策は、ない。
大笑いで、夜、8時。解散となった。













Monday, March 26, 2018

僕が作りました。




            タイトル;ぼくがつくりました。その1
           その2がでるかどうかは、わかりません。



うどん屋さんで、働いている夢をみた。
うどん屋さんで、働けたらいいなーとおもっていたから、
それが、夢だと勘違いしたのだろうか。
それとも、うどんをムショウに食べたいと思って寝たせいだろうか。

よく外食をしたとき、あーおいしいと思う。
しかし、それをつくっているひとに
お目にかかる機会は、ほとんどない。
お客さんの反応を見たいと思わないのだろうかと思う。
カウンターだけの、うどんや、ラーメン屋さんだったら
お客さんがおいしいとおもっているとか、
そうでないとかすぐわかる。
しかし、ふつうのレストランでは、
料理人はどうやって、
お客の反応をみているのだろうかとおもうことがある。
天井にカメラが隠してあって、
それを、厨房でみているのだろうかと、
カメラをさがしたりする。
securityの問題で、カメラが天井に設置されているところがあって、
あーあれから、私が一口食べた時の反応を
みているんではなかろうかなどとおもったりする。

どこのレストラン?とはなるけれど、
なかなかだれがつくったの?となりにくい。


昨年の夏、田舎に帰った時にほんとに、ほんとに、
感動したのは、
お店で売られている野菜とか
お惣菜に作品者の名前が書かれていたこと。
惣菜に、名前がはいるようになって、
なんと、住所まで書いてあった。

母と食べようと、お赤飯を買った。
涙がでそうなほどにおいしくて、
いったいこれだれが作ったの?となって、
今度もこの人のお赤飯を買おうと、
住所と、名前を記しておいた。
また違う日にスーパーだれかがつくったお赤飯を買った。
残念ながら、小豆がやわらかすぎて
私の好みではなかった。

最初に食べたお赤飯がどうしても、わすれられずに
その人に絵手紙を書いた。
すごくおいしかったです。
こんなにおいしいお赤飯をたべたことはありません。
また、必ず買います。
体に気をつけて頑張ってください。
と付け加えた。
私の名前は書かなかった。

あれをつくったひとは、食べた人の反応を知りたいとおもっているとおもったから。
一生懸命につくっているけど、
お客は一体どう思っているのだろうと、考えないはずがないのだもの。

人を元気にすることは簡単なこと。
いかに、あなたのおかげで
自分が幸せを感じかたかを
伝えればよいのだとおもう。

きょうは、一生懸命にフランス料理らしきものをつくる
おにいさんは、
どうしていいのかわからなくて、
ちょっと涙目になっている絵を描いてみた。

人間がこの世にいる限り、絶対いるもの。
それは、食べ物。
少々寝なくても死にはしないし、少々孤独な日が続いても、
死にはしないだろうが、食べものがないと生きてはいけない。
それに携わっている人々には、
こころから、敬いの気持ちをもってしまう。

では、よい1日を。



Sunday, March 25, 2018

A night in Dubai





先月、ドバイでの水彩のワークショップをとったときに、
いろいろ勉強になったけれれど、
なるほどと、うなったのは、プロの画家さんのひとことだった。
絵の中にあるものはすべてが、相互に関係しあっていなければならないということ。
いままで、11年描いてきたけれど、
それを、あまり、考えないで描いてきた。
画面の中にあるものがどこかで、
コネクションをもってつながっているようにするというのは、
結局無意識にしていたようにもおもうけれど。
なるほど彼の絵をみると、ほんとに
すべてのモチーフが見事につながっている。
それが、見る側の心地よさになるのだろうと
11年もやっていて、納得するというのは、おそすぎないか。
まー遅くてもいい、気づいただけまし。

今日の絵は、その画家さんのレクチャーのあと、ホテルにかえって、
夕ご飯までの散策をしているときのドバイの下町の通り。
私は一人で歩いていた。
どこかで、サンドイッチでも買おうと歩きまわっているときに、
人々でごった返す、レストランやカフェがあつまっているところにきた。
家族で、夕食をとるひとたち。
友達同士で、仕事の後を楽しむひとたち。
小さな子供を追いかける母親やら、
仕事仲間と楽しそうにしているひとたち。
私は、その中の誰一人として知っている人はいなかった。
言葉に尽くしがたい、孤独感だった。
この絵を仕上げているときに、その時をおもいだした。
私たちは、どこかで、つながっていることで生きていけるのだろうと。
私たちの人生も、絵も同じなのだろうと思う。
画面にあるすべてのモチーフが少しずつ、コネクションをもっていないと、
見る側が心地よさを感じないように、私たちも、だれかと少しずつ関係しあってることが
生きているうえでの心地良さにつながるのだろうとおもう。

しばらくたちどまって、
たくさんの人々が行きかう姿をみていた。
こんなにたくさんのひとたちがいるのに、
私が知っている人は誰もいなかった。
私を知っている人も誰もいなかった。
半端ではない孤独感だったけれど、あのことから
随分たくさんのことを学んだ気がする。












春休みに入り、
レッスンは一時お休みするひとがふえて、ちょっとさみしくなったが、
まだまだ、しょうもないもんで、いっぱいの倉庫のかたづけに
集中できるようになった。
後、4日で、どこまでできるか。










ここにきたころは、新聞をとっていたけれど、
今は、もう、新聞も、オンラインで読むようになった。
すぐに目にいくのは、
シリア情報。
何で、シリアかというと、
一人の生徒さんが、シリア人というのもある。
大丈夫なのかときいたら、僕のところは、大丈夫だという。
それとも、あまり話しはしたくないのかもしれないと、
それ以上はきけなかった。
自分の政府に殺される国民。
血にそまり、泣き叫ぶ子供を抱く親の写真が並ぶ。
ああいうものをみると、
自分の力のなさというより、
逆になんて私は、幸せなのだろうと不謹慎にもおもってしまう。
わたしたちは、幸いにも、自国の政府に爆弾で殺されるようなことはないのだから。
それをおもうと、
ほんとに生きているだけで、まるもうけだとおもわずにはいられない。

毎日の生活のなかで、怒ったり、落ち込んだりを、不満をもって、うだうだしたりが
どれほどくだらないか。血に染まった子供を抱くほどの、悲しみにくらべたら、
すべてのことは、ほんとにとるに足らないことなのだ。










Saturday, March 24, 2018

My home country




ずっと前に、アルアイン動物園にいったとき、おきゃくさんが
人参をキリンに挙げられる
コーナーがあった。

差し出される人参は、あっという間に胃袋にすいこまれていく。

動物園にいくといつも、
悲しくなる。

どこかで、
捕獲されて
運ばれたさきは、
夏は、50度を超えるところ。

人参を食べているところを、
写真におさめられ、
早く呑み込めば、
ゆっくり食べろよと、
乱暴な子供に文句をいわれ、
いくらやっても、
ありがたそうな顔しないと、
文句はつづくのだが、
それはまだいいほうで、
写真撮影が終わると、
にぎやかだった子供たちは、
あっという間に
次のおり
にうつっていく。

キリンのことさえ
まるで
いなかったかのように。
わたしは、その光景を、
スケッチしながらみていたことがある。
キリンはうごきまわるので、
スケッチできなくて、
これは、写真から
描いたもの。

子どものレッスンでデモで描いたままで、
ほったらかしになっていた。


子供たちが去っていったあとの、
キリンの表情がよかった。

空をみあげ、
ふるさとは遠きにありておもうもの。
みたいな顔をしたからだ。
彼らにだって、ふるさとがある。
2度と帰ることはできない。


わたしは、
まだまし。
帰るところがある。









Blue 1






 もし、怒りという感情がなくなったら、どれほど、
世の中がうまくいくだろうと、ふとおもったりする。

それは、周りの人間に対する、怒りの感情だけではなくて、
自分自身の力のなさに対する怒りもふくまれる。
こうであってほしいとおもうけれど、
そこにまだ、到達していない、
到達の夢も、
不可能に感じるときに、
それは、怒りになる。

うちのねこも怒っている。
私が、ねこビスケットに注意を払っていなくて
お茶碗が空っぽになっているときがある。
そんなときは、夜中に、ビスケット入れろよーといわんばかりに、鋭い爪付きの、パンチがくる。

誰もかれも怒っている。
体に良くないのになーとおもう。

気をおちつかせるために、
もし、この世に、
青の絵の具しかないとしたらなんて、
考えながら想像で描いてみた。

日本、恋しいなーと、姉にメッセージを送ったら、
彼女らしい答えが返ってきた。

”思い出の中のふるさとは美しい”
なるほど、彼女はいつも適格な言葉を送ってくる。


If we have no any emotion of anger, how would the world be smooth? 
I am sometimes angry by myself, because I have not achieved the level what I really want to be. Even I can't see whether it would be potentially possible or not.

To make me calm down by myself last night,
I imagined what if all paints vanished in this world except for blue.



Friday, March 23, 2018

postcard size demo

むかし、むかし
描いたもの。
はがきサイズでよく練習していた。




3,000枚近くの写真
スキャンは、95%のところまできた。
こンな昔の作品の写真もでてきた。
写真にいかに近く描けるかなんて
今考えたらおかしな話なんだけれど、
あのころは、
結構のめりこんでいた。

ワーカーさんたちの
寒そうな表情のこの絵も10年以上前にかきはじめたころ。
スカーフの柄まで、こまめに描いている。

それがどれほど意味がないのかに気づくのに、10年かかった。

 久しぶりに母におくる絵手紙。



過信は禁物。
昨日のヨガでは、
ちょっと、はりきりすぎた。
コブラのポーズをしているときに、
腰によくないなとおもいつつも、
先生の指導のもとに、やらないとーーと、
がんばった結果、今日は、腰痛で苦しんでいる。
腰痛には、解放されて、20年をほこっていたのに、
なんてこと。
出産によって、
腰痛がなおったというわたしは、それが
ちょっと自慢。
あと自慢するものを考えている。

Wednesday, March 21, 2018

A fateful encouter








昨夜で、IELTSのコースは終了した。
久しぶりに学生にもどれたことは、ほんとにいい
機会だった。
先生とは、先に生まれると書くというけど、
私のほうが、先に生まれているので、それは、なりたたないなと
おもいながら、彼の最後のレクチャーを聴いていた。
素敵な先生だった。
最後に、先生の評価を書く紙がまわってきた。
He is the best teacher in my life, and I respect him very much.

なんて言葉をうわっつらではなく、
付け加えた。
彼は、教師であると同時に、
非常に勤勉で、魅力的な人柄だった。

大學の教師であるにもかかわらず、経済的に大変なことやら、
奥様が精神的に追い詰められていそうなこととか、
兄弟げんかがひどくて、母親が精神をわずらってしまったこととか、
父親の存在とか。いろんな自分の人生をおりこみながら、
授業は進んでいった。

魅力的な人ってどんな人だろうとしみじみかんがえさせられた。
きっと、共感を呼ぶ人なのだろうと思う。
この人といると楽しいと思わせるひと。
当たり前のことだけれど、これが忘れがちになって、
人間すぐに自慢屋さんになってしまうところがある。

わたしは、これができる。
わたしは、あれができる。という。

彼は、知識をひけらかすこともなく、
人生は、大変なんだってことを、
ちょっとずとおりこみながら、
学ぶ側までおりてきた。
そうよね、そうよね、とうなづく話が盛りだくさんだった。

授業の2時間前には、教室にスタンバイ。
時間に正確な日本人も顔負け。南アフリカからきたひとだった。

As you sow, so shall you reap.

種をまけば、刈り取れる。
そのまま、訳せばそうだけど、
愛は愛を呼ぶ。
尊敬されたければ、自分がまず、人を尊敬しないと、
人からの尊敬は得られない。

種をまかなければ、収穫はこない。

まいた種は、刈り取らねばならない。因果応報、自業自得。という意味もあるけれど、今回は、前向きな意味。

この言葉を最後に、彼の授業は終わった。


人に何かを教えるということは、技術や知識だけでなく、
経験にもとづいた、生きざまをみせることなのだとしみじみした。

いい出会いに感謝。

よい1日を。








秘密

ドバイのホテルの値段をちょっと頼まれて、調べただけなのに、次の日に、
いいホテルはみつかりましたか?
と、メールがはいり、
日本で、手頃なホテルをさがせば、
また、次の日に、
こんなのもありますがいかがですかと、メッセージがはいる。
英語の単語を覚えるサイトをちょっと調べただけで、
すぐに、契約すると、
少々お安くなりますが、いかがでしょうか、
あきらめないで、勉強しましょう、
いまからでもおそくないですよ
とか、はっきり言って、余計なお世話みたいな
メッセージがどんどんはいってくる。
なんだか、コンピューターにすることなすこと
見張られているみたいで、
ちょっとでも、なまけると、
お尻をたたかれているように、
感じるのはわたしだけだろうか。

きょうで、IELTSのレッスンは終了。
学生に戻ったような気分だった。
先生といえば、
自分よりいつも年上というのが常だったのだけれど、
今回は、わたしより、
かなり、若い先生で、
不思議な気持ち。

これからは、
自分自信でつづけていかなければならない。
がんばりまーす。


Tuesday, March 20, 2018

Memory

倉庫をひっくり返していると、
何年も前に描いていた、たくさんの、はがきサイズの絵がでてきた。
絵を描き始めたころ、
大きな紙はこわくて、
絵手紙みたいなのを描いていた。

最近は、身の程もしらず、ずーずーしく、
インスタグラムに、
スライドショーまで、
ポストするほどに、なってしまった。
すっかり、自慢やさんになっている。

ちょっと反省しているきょうこのごろ。


東京では、桜の開花予測が発表されたして、
すっかり春の気分らしいけれど、
ここは、もうすっかり夏。





Monday, March 19, 2018

Perplex


あの時こうしておけばよかったとか、あーしておけばよかったなんて、だらだらと、
何万回思い返しても仕方がないことなんて、わかっているが、
そういうことが、私の場合山のようにある。

ほかの人はどうなのだろうか。
もっと、娘がここにいるときに、
もっと、愛してあげればよかったとか。

あのときに、友人に、
もっと、思いやりのある態度をとってあげればよかったとか。

母にも、もっと優しくしてあげればよかったとか。

数えきれないのだけれど、いくら考えたとしても、
過去は変わらない。
これから、どういうふうに、毎日を生きていくのほかしかないのはわかっているのだけど、それを、だらだら口にしてしまう思い切りの悪い自分の性格の悪さにうんざりするときがある。

周りの人をみると、
何の後悔もなく、
堂々としているようにみえる。

自分の人生に後悔したことがありますか。

こんな質問をなげかけたら、
みんなどういうふうに
答えるだろうとおもう。

アルアインは、すっかり夏っぽい。

3月ですでに、夏模様で、おそろしい。




Sunday, March 18, 2018

 Red sweater

昨日のデモから。
水彩は、どうしても、紙が大切。
これは、あまり、質のよくない、スケッチブックに描いてみた。
1度色が吸収されると、
リフトはできないのが、きつい。

きょうは、久しぶりにヨガ。
タイ人の友人が、ハンガリーからかえってきて、
また、ヨガ教室をはじめた。
長いことだらんとしていたので、
早速参加。
これがきつくて、
プランクとよばれている、
腕立て伏せみたいなのができない。
まったくできない。
前は、できたのに。

すっかり途中で、いろんなヨガ技についていけなくて、
脱落。



Saturday, March 17, 2018

Garden city Al Ain

                                     

Nowadays  food has become easier to prepare.
Has this change improved the way people live?

宿題のエッセイの課題。
40分しかない。




Friday, March 16, 2018

Throwing away the past


こんなにのんきに絵を描いていられるのも、あと、3か月かもしれないなとおもうと、
変に勇気が湧いてきて、
昔描いた絵を半分に切ってみたりする。
お皿にのったカブのよこに、
バラを想像で描いたものだった。
お皿を半分描くなんてことは、
多分、絵として成り立たないと思うけれど、
この際、よしとする。

絵を描くことは、私の場合、瞑想みたいなものだった。

生きていれば、いろんなことがある。

それだけのこと。

きょうも、
アルアインは、晴天。

よい1日を。




Wednesday, March 14, 2018

Looking for a partner 2




ここの大学で、夕方、IELTSコースがあるというので、とってみた。
英語の勉強は、そういえば、35歳のころにしたきり。
あれからずっとご無沙汰だった。
なんと、先生は、ホワイトボードもほとんどつかわない。
コンピューターと、ボードが直結しているので、
机の上でコンピューターの操作をしたり、
リモコンで、クリックするだけで、
ボードに次々に、
コンピューターに入っている内容がうつしだされる。
ボードに映し出されるものを
生徒は、ノートをほとんどとることはない。
なんと、スマホで写真をとるからだ。
書いている時間というのがもったいない。
ボードにうつしだされたものを
自分が大切だとおもったら、
写真でとって、
家で勉強する。
2018年。
時代は変わった。
コンピューターとスマホがないと、まったく授業がなりたたなくなっていた。
おもしろいのは、
IELTSの試験のパターンは、
20年まえとほぼおなじ。
しかし、勉強しようとおもえば、
山ほど、ネットで情報は手にはいる。
昔は、テキストだけだった。
今は、テキストさえいらないかもしれない。


今は、単語も、スマホでおぼえる。MagooshというのでIELTSででてくる
単語がすべてでてくる。

語彙を増やすための手段としては、とにかく、いろんなものを読むことらしい。
先生おすすめは、Readers Digest。
なんと、podcastもやっているので、
読みたくなければ、
聴くこともできる。
ネットで検索しているものを
読んでいるときに、
わからない単語があれば、
その単語の上に指をおくと
日本語の意味が出てくる機能は
はずかしながら、最近知った。


あーなんと、便利な世の中だろう。

スマホとコンピューターと、着替えがあれば、
どこへでもいけるのだ。

今日は、スーパーで友人とあって、たちばなし。
彼女は、旅行中毒なのだけれど、
なんと、どこへ行くにも、荷物は、4キロ以下。
まず彼女は、コンピューターをもっていない。
引っ越しを繰り返しているうちに、
スマホと着替えがあれば、
どこへでもいけるということに気がついたという。
そういえば、モンゴルの犬ぞりツアーにいったときも、
普段と荷物はおなじ。
二つのおにぎり分くらいに小さくなるジャケットをもっていったとはいっていたが。
高い服は買わないという。
それをケアするのに、
無駄な神経をつかうからだという。
安いいいものを買って、
くたびれてくると、寄付の箱にもっていく。
だから、服もたまらないという。


わかるような気がする。

私も今夜さらに、クローゼット整理。
寅さんのようは生活は近いか?
いろんなものに縛られて生きていたなとおもう。
なにかを家の中から、
処分する旅に、
気持ちがよくなる病気にかかっている。



Dubai Creek







人生のゴールとはなんだろうか。最近、母の健忘症と体力の衰えについて
身内から、連絡があるたびに、それを考える。
みんな何にむかって
最後の日にむかっているのだろうか。
生まれた以上、いつかは、死ぬ。
これは、避けられないのだけれど、
あまり、深刻に考えることなく
過ごしてしまった。
高齢化の波は、着実にうちにも
例外なくやってきた。






Sunday, March 11, 2018

Memory





16年前に、オーストラリアに行ったときに、撮った黄変した写真がでてきた。
それを、描けるかどうかやってみた。










坂口安吾の堕落論という本の中に、”元来日本人は、最も憎悪心の少ないまた、永続しない国民であり、昨日の敵は、今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。。。。。”
というところがあったのが、どうも、これには、同意しかねる、¥。
文学少女(おばさん)を気取っているわけではなく、たまたま開けた本の中に、語彙をう増やすには、この本だ!!!みたいなのがあったので、青空文庫で、ダウンロードしてしばらく読んだというだけのこと。


科学的に証明されてはいないだけど、ほんとに、日本人は、ほかの国のひととくらべて、楽天的なのだろうか。

私の友人の、隣の人が先日亡くなったという連絡をうけた。
友人とその隣人の何十年にも及ぶ確執は言葉ではたりない。
友人は、とにかくその、隣人を憎むことで、生きていた。
隣人の悪口をいいはじめたら、とまらない。
人の悪口を延々ときかされるのは、
結構きつい。
しかし、最終的にわかったのは、
人を恨むことも、
生きて行くためのエネルギーになるのではないかということ。
人を愛することに命をかけ、
人に親切にすることを
第一の人生の課題とし、
人々への敬意を忘れることなく、、、。
そんな神様みたいなひとばかりではないのだ。

人を恨むにも、エネルギーがいる。


ただ、たった1度の人生。
人を恨むことにエネルギーをつかうなんて、
もったいないなと気づいてほしいなとは思う。
しかしこればかりは、仕方がない。
赤のシャツが好きな人がいれば、
オレンジのシャツがすきなひともいる。
ほんとは、それくらいのことかもしれないと思うのだ。

人を嫌うときは、必ずといっていいほど、理由は簡単。
相手が自分のおもうように、
動いてくれないとき。
人間は、心のどこかで、
自分に都合のいいひとをさがしているものだ。



最近、毎日、
写真のスキャンで、
時間がすぎていき、
なかなか絵に集中できない。
今、3000枚近い写真のスキャンが
35%ほどが終了。
かなり、疲れてきた。
まだ、先は長い。





Saturday, March 10, 2018

Dubai Creek




語彙をどうやって増やすか。
これは、最近の大きな課題。
学校卒業してからうん十年。
語彙は減ることはあっても、努力しない限り増えることはない。
日本語でそうなのだから、英語ともなると、さらにむずかしくなる。
英語のレベルを知るための試験は、
語彙の豊富さが大きなカギとなるのだけれど、
いくら単語を知っていたとしても、その単語で、文が作れないと意味がない。


英語の試験で頻繁に普通の生活の中で、使わない言葉をつかうと、
ポイントはおのずとアップ。
中学生レベルの単語をならべただけでは、
いい点数にはむすびつかない。

夏目漱石などのの小説を読むと、いかに自分がほんのかぎられた
語彙の中で、浮遊しているのかがわかる。

結局、なんでもいっしょ。
土台のできてないところに家は建たない。

語彙のないところに、エッセイは書けない。

今朝は、iPhoneで、ただのアプリをセット。
単語をいかに、覚えるか。
毎日、1つでも、新しい言葉をインプットできれば、
いつかは、自然とアウトプットできると信じているのだが。
いくら覚えても、24時間後に消えていることが多い。

希望は持とう。


きょうは、
頭にさらに、刺激をおくる、サルサの夜。

よい1日を。



Friday, March 9, 2018

Looking for a partner









若者は、音楽を聴きながら勉強する。
あんなうるさい音楽をききながら、
よく頭にはいるものだなと、
ほんとに感心するばかりだったけれど、
なんだか、最近わからないことはないかなとおもわないこともない。
さすがに、音楽をききながら、
本を読んで頭にはいるほどの器用さはないが、
音楽が頭に与える影響をしみじみと感じるきょうこのごろ。
音楽は、ほとんど聴かないけれど、
サルサの音楽が流れると、
自然と体が動いている。
毎日日曜のサルサのレッスンは、
一生懸命に先生の足をみて、まねすることで、
1時間はあっという間に過ぎる。
先生は、もともとは、イエーメン人で、イギリスでそだった明るいお兄ちゃん。
その、お兄ちゃんに会いたくて、くる若いおねえちゃんたちもいて、
わたしのように、還暦ですねん、みたいなひとは、あと、ふたりだけで、
仲良くしている。
音楽に合わせて、踊る。
これは、人間の素の部分に戻る感じがする。
昔昔は、ピアノもバイオリンもなかったわけで、楽器といえば、
なにかをたたき、ひとびとは
喜びや、悲しみを表現してきた。
その部分がまだ、私たちの体のどこかにのこっているのだとおもう。

サルサのレッスンがあるアートセンターで、絵のクラスを持たせてもらっているので
マナーとして、参加したほうがいいだろう程度でレッスンをうけはじめたら、
なんてことはない、すっかりはまって、
毎週日曜が一番楽しい日になってしまった。

男も女も、
燃える夜。
なんて書くと、なんだなんだってことになるけれど、
みんなほんとに、うまくなりたいと、
必死。
そのなかで、
もしかしたら、
愛がうまれたりするのだろう。
若い人たちは、無限の可能性があって、よいなと思う。


7分で、バナナが描けるか?
            今日は、青いで描いてみた。

Thursday, March 8, 2018

Al Ain Palace Museum




去年描いたものが気にいらなかったので、ほとんど同じデザインで
昨夜もう1度描いてみた。あまり、大きな木を描くという機会がないので、新鮮な感じ。






昨夜のアートセンターでの、クラスの間中、
どうも、落ち着かない。
というのも、そこの庭で、International Womed's dayの催し物があっていた。
About Love.
講師は、男性だった。
絵、愛について語るのが男?
何をしゃべっているのか聴きたいような、
聴きたくないような。
女の気持ちが男になんてわかるわけないと、つねづねおもっているわたし。
男のほうだって、女に男がわかるわけはないんだとおもっているにちがいない。
いったい、その講師は、なにを集まった、10人ほどの
女性たちにレクチャーをしていたのだろう。

そういえば、愛についてなんてことを、
語ったことがない。
これは、典型的日本人の特徴だろうか。
いや、これは、私自身が色気だのなんだのと程遠いところに
生きているからだろうか。

この色気も素っ気もない証明写真がでてきた。
いま2,800枚ほどの、写真を毎日、最低100枚は、スキャンしよう!というのをやっている。
そうすれば、3月28日には、すべての写真のスキャンがおわり、
クラウドにいれられることになっている。
昨日、ブルネイに行っているときの写真がでてきた。
ブルネイにいるときに、
マレーシアのミリというところに7時間かけて、車で旅行したときのもの。




後ろすがたが、あのころから、おじさんだった。
腰の形がおじさん。
私は人を見るとき、腰をみるくせがある。
意味が分かった、私は、異常に、腰にコンプレックスがある。
多分、人間、自分の弱いところを自動的に人と比べているのだろうと思う。

Imternational Women's dayのあつまりには、
何故か、テーブルにあふれんばかりの
たべもの。
残念ながら、ほとんど私は食べられない。
どれに、カシューナッツがはいっているのかがわからないからだ。
こんな時、ほんとに、ナッツアレルギーをうらむ。



今日も、アルアインは、晴天なり。

よい1日になりますように。



Brunei
もここもイスラムですが、
ちょっとちがうのは、
服。
ブルネイは、男女ともに、
色があふれかえった服を着ます。




Wednesday, March 7, 2018

Gold souq,Dubai



2週間ほど前に、
IWS の集まりで、

Dubai の Gold souq いったときのもの。
ここで、オープンしてない店のまえの地面にすわりこみ、
描いていて、
半分くらいのところで、
お店がひとがきてしまった。
シャッターをあけているので、
すみません、とあやまると、
いいよ、
描いていて、
といわれたが、
なんだか、
店の前の、ホームレスみたいなので、
かたづけた。

今朝になって
完成。
電線がもっといっぱいうじゃうじゃあった。
写真はとってないので、
記憶だけ。


          この炭でできた、下痢止めの薬。
あっちを整理したり、こっちを整理したりするけど、結局、
またいるかもーと、元の場所におくことになって、
全く物は減らない。

下痢で入院した2年前のときのもの。
薬が効かなくて、泣きそうだったことこをおもいだす。
トイレにかようのがめんどうくさくなり、
トイレの床でねていると、
息たえていると
おもわれて、大変だった。

いま、おもえば、
なつかしい。

今日も、アルアインは、晴天。

もう、すでに、20度。

よい1日を。


Tuesday, March 6, 2018

Abu Dhabi Cornish




今年の1月にアブダビにいったときに、
海岸通りを走ったときに、
撮った写真に、
ワーカーさんをいれてみた。
また、創作。
なんだかんだで、1か月もほっといたので、
もうしわけなく、
今朝手をいれてみた。



今日は、夢の話。
夢って願望からくるといわれている。
若い時に、デザインの仕事をしているときに、見る夢は、
空を飛ぶゆめだった。
現実逃避したいんちゃうん?
とか、同僚にいわれたものだけれど、
もしかしたら、そうかもしれなかった。
後々、気づいたのは、シャツがピンクでも黄色でも、人間の価値はかわらないしなーなんて、デザインの仕事をしながら、まとはずれなことをおもっていたと思う。

昨夜は、なんと、ステージで歌っていた。
ホントは、3曲なんだけれど、時間がおしてしまったから、
1曲にしましょうとか、ピアノの伴奏をする人にいわれた。
大勢の人の前で歌ったことなどないのに、
心のどこかで、あんなふうに、歌が歌えたら、
素敵だろうなーとかおもっているのだろうかと、
不思議だった。
何の歌だったのか全く覚えていない。
何故か、全く練習をしていなかったので、
ピアノとあわなくて、
大変で、結局、
最後は、自分で歌詞を作って、即興となり、
I love you-----と、絶叫して終わるというものだった。
なぜ、私が選ばれたのかわからない。
歌が終わった瞬間に、
知り合いがきて、
何で、あなたが選ばれるの?
私のほうがうまいのに、
という
おまけつき。

はっきり言うてくれるなーと、びっくりしたところで、目がさめた。

たくさんの観客に拍手をもらった。
ずっと前に、同じような夢をみたことがある。
心のどこかで、
人の前で歌うほどの、歌唱力にあこがれているのかもしれないと思う。

今日は、アルアインは、快晴。
暖かくなりました。

では、よい1日を。













Monday, March 5, 2018

Sanaiya Al Ain


最近、私の絵は、記憶力テストのようになっている。
車で走っているときに、
写真をとる。
いつか、
時間があったら、
もどって、絵を描こうとおもっているのだけど、
なかなか現場にもどることはむすかしい。
でも、スケッチだけを5分くらいでして、
あとは、
家で、想像で描く。
写真をみると、
写真のように、描きたくなるので、
極力みない。
記憶をたどる。
ここには、だれも歩いていなかったし、
デイツの木もなかったので、
半分くらい創作になる。
でも、ここにこんなひとがいたらいいなとおもって
描くというのは楽しいもの。






昨日は、モーザちゃんのところにいくと、
’’日本のチョコレートをあげる”
といってもってきたのがこれ。

いったいこれをどこで買ったの?
というも、
おとうさんがどこからかで、
買ってきたという、

どうしても、知りたいから、
お父さんに
どこで、手に入るのかきいておいてとたのむ。

’北九州’’と、
袋に描いてある。
ねじとナットのチョコ。
なんだか、鉄の味がしそうで、
食べにくい。



Dubai Creek.


これは、土曜のデモでも描いた分。。
水の部分を重ねてみた。

おとといか、
Dubai でのplien airで描いた絵を、インスタグラムと、
facebookの載せたのはいいが、
なんと
Dubia Marinaが

Dubai Marianになっていて、
大恥。
多くの人が見たあとだったので、とき遅し。
後で、訂正はしたものの。
こういう恥をさらして、
毎日生きている。


今日は、アルアインは、14度までさがり、家の中でも、ジャケットがいるほど冷え込んだ。
霧の中で、たたずむ友人を写真におさめる。
18年間、がんばってくれた。


この盆踊りのような、白熊は、この順番をきめるときに、
不満だったのか、
このベランダから落ちた。落下したとき、
下の草にひっかかり、
ひじやひざに草のみど李の草の汁がついている。
後ろの猫が慰め、カンガルーが、”文句言うから、そんな目にあうのよ”!!!
と厳しい言葉。犬は、おれのしったことじゃないな、みたいな。


ゴミ箱を抱えたおじさんは、18年間かかえつづけていて、もうしわけない。
友との別れはつらいけれど、日本人の友人のところにいくことになっているので
きっと、かわいがられるにちがいない。ばいばい。元気でね。

Sunday, March 4, 2018

I can' t hear you





土曜は、いつも、韓国人のスターが大好きなテイーンの女の子がくる。
昨日は、これを描いてみた。
とにかく人を描くのが大好きな彼女。
昨日は、シンプルに水を置いた後、色を流してみた。





今日は、子供のころの思い出の話。
日本の冬の縁側を飾っていたあの干し柿。
今でも、干し柿ってするのかな。
私が小さいころ、おばあちゃんが器用に皮をむいて、
なにかの葉っぱを切り裂いて、それで、
柿と柿をつないで、
物干しみたいな棒につるしていた。
まだ、出来上がってないのに、
よく食べて怒られた思い出がある。
雪がちらつく空を4畳半の畳の間からみあげるとき
必ず、そこに干し柿があった。

昨日から、2,800枚ほどの写真をスキャンしはじめた。
1日、100枚スキャンしたとしても、28日もかかる。
スキャンした後は、クラウドにいれる。
すべての写真は、処分することになる。
そう、今まで、生きてきた思い出が詰まった写真たちは、
空気の中をさまようことになるのだわね。
母の写真をスキャンしていると、
すっかり、ホームシックになってしまって、あの干し柿の
シーンがよみがえってきた。


頭のどこかで、
昔見たあの景色をもう1回みたいなと思っているような気がする。

娘が小さかった頃、ビデオカメラで撮っていた分が、16本。
エクスターナルハードドライブにいれてもらって、
コンパクトになった。
これで、やっと、この山のようなビデオテープを捨てることができる。
ほっとした。
いま、
ミニマリズムに挑戦している。
今朝は、ずっと前に買っていた、ドア付きの本だなを
友達にゆずった。
結局、本棚なんて
なくても生きていけるわけで。
何も持たない生活にあこがれる。
体さえあれば、
いいのだと思う。

Friday, March 2, 2018

Dates


 UAE名産といえば、デイツの実。
収穫してからは、茶色になってしまうけれど、木になっているころは、
透明感のない、ブドウみたいな感じ。
これは、透明水彩で、描いたので、どうも、ぶどうっぽい。
白を混ぜて、不透明で描いたほうがよかったみたいなので、
やりなおし。


 明暗がとれているのか、pcについている機能で、見てみた。


これは何年も前に描いたデイツ。
こっちのほうが、デイツっぽい。







テクノロジーの進化についていくのは、必死。
このビデオカメラのテープをどうしたものか。
娘が小さいときは、まだ、こんなんだった。
2003年ごろかな。
2018年、テープを使うビデオカメラなんて使っているひとはまずいない。
スマホで写真だけではなくて、
かなりの品質のビデオもとれる。
こういうビデオテープをもっていてもしょうがないので、
とにかく、これをpcにいれなければならない。
ということで、
この町のある店を紹介してもらって、いってみた。
ビデオテープから、External hard driveに落とす機械をなんとそこはもっていた。
1本につき、1,200円なり。
17本のテープなので、2万円ほど。
立派な値段だけど、仕方がない。
ビデオテープから、
External hard drive にいれて、そこから、cloudにいれる。
手元になにも、なくても、
cloudを開ければ、そこに、ビデオが存在するということになる。
External hard driveは、落としてしまったりすると、
もう、開けられない。もう、何度も、おとして、
思い出のものをあきらめてきたので、
今回は、そんなことがないよう、しっかりと、cloudに
入れなければ。
これも、浮草のような生活をしている人には、ぴったりのテクノロジーともいえるなと思う。

アルアインは、めずらしく昨日は、雨がふったりしたけど、
今日は、またまた、青い空。

よい1日を。