Monday, January 15, 2018

In quiet morning





この絵の下には、子どもの顔を描いたものが隠れている。
アクリルは、何度も何度も、塗りなおすことができるので、また、ちがったおもしろさがある。だから、失敗!と言って、キャンバスを捨てることはほとんどない。
色を重ねて何度も楽しむ。
昨夜は、緑色でキャンバスをぬったあと、人の顔が描けるのか、実験をしてみた。
緑ではじめたのは、ようは、チューブから出しすぎたというだけだったけれど。
緑の上に肌の色を重ねてみた。







昨日会ったロージーさんも絵が大好き。イギリスから来た彼女とは、
いろいろとうまがあう。
日本人って、アジアの中でも独特よねというので、
どの辺がというと、うーーん、といって
実は、、、と、話を始めようとした途端、ほかの人に邪魔されて、l;
聴けずじまいになった。彼女が何を言いたかったのかは不明のまま。

日本人は、本音と建て前を使って、世界一争いごとを避ける国民だということを書いてある本を持っていることを思い出して久しぶりに開けてみた。
数年前に買った本でつんどくになっていた。

題名、日本らしさを、英語にできますか?
松本道弘、ボイエ デ メンテ著

2.本音と建て前
日本の伝統的文化は、人々の態度や行動を極端なまでに制限し、抑制してきた絹織物のようなものであった。あらゆる生活面におけるエチケットは、こまごまと型どられ、因襲化されているので、日本人が他国の人たちとちがっていることは一目瞭然であった。
  日本人の生活は、日本的なハーモニーというべき和の要求により、また私欲なく他人の気ままを許す甘えの哲学を全うする必要性により、さらに複雑化された。
 そしてこの2重の文化的影響は、すべての正常な状況に置いて、率直で、ぶっきらぼうで、土足で踏み込んでくるような行為がタブーとされる社会を作り上げたのだ。

Japan's transitional culture was like a silken web that limited and controlled the attitudes and behavior of the people to an extraordinary degree. Etiquette, in all areas of live,was minutely defined and was so highly stylized that it distinguished the Japanese from most other people.
  The lives of the Japanese were further complicated by the demands of wa, or Japanese style harmony,and the need to fulfill the philosophy of amae, the absolute unselfish indulgence of others, ---dual cultural influences that resulted in a society in which frankness, bluntness and direct, aggressive behavior in all normal circumstances were taboo.





私欲なく、他人の気ままを許す甘えの哲学を全うする、、、、?
アメリカ人にはそういう風に見えているのかと驚く。
私欲がない国民?私欲がない人などいるわけがない。
インパルスのコントで、ももたろうというのがある。
犬がもらったきびだんごと、きじがもらったきびだんごのおおきさがちがうので、
争いになってしまうというもの。いや、これは、ちょっとちがうかな。

日本人はみんなマザーテレサみたいに思われているらしい。

東北大震災のときの映像は、世界をおどろかせた。
あんな大変なときでさえ、人々は、パニックにならず、整然とならんで、水の配給をうけ、食料を待つ。強奪などは耳にすることがなかった。
私欲がない国民と思われるのはああいうところからだろう。
日本には、ほとんど日本人しかいないため、和を乱せば、はじき出される。
ここ、UAEでは、80%以上が外国人。
そういう状況にもかかわらず、いたって静かな毎日が送れるのは
奇跡としかいいようがない。





今朝は、コメデイアンHasan Minhajをききながら、
水彩で、雪景色の描き方を練習することになっている。

ではまた。
よい1日を。





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