Wednesday, January 31, 2018

Etisalat building, Al Ain





          7Al Ain Palace museum   から電話局を望む。




            車の中から、スケッチをした。
            どこに、影があるかだけを描いておく。
             家で、紙におこす。
            細かいところは、ほとんど想像で描く。


去年、ドバイで会ったインドから来たアニタさんは、
目が見えない人に、アートを教えているという。
なにをどういうふうにと、詳細を聴く機会がなかったのは、残念だったけれど、
どうも、ドバイで、彼女のその活動を広めようということになっているらしい。
去年のメンバーがあつまって、うちあわせということになっているけれど、
ドバイは、まだ、残念ながら遠くて行けそうにない。

不可能なんてことばはないのだと、
こういう人の話をきくと、
やたらと、元気になる。

辻井さんという、全盲のピアニストがいる。
数年まえに、
アブダビにコンサートに来たことがあった。それはそれは、素晴らしい演奏で、
音楽なんてほとんどわからないわたしにだって、
彼のすばらしさは、伝わってきた。
彼は、たくさんの賞にかがやき、クラッシックの世界で走らないひとはいない。
彼の趣味は、絵画鑑賞だという。
ミュージアムは、お気に入り場所だという。
全盲の彼がどうやって絵をみるのか。
心の中に目があると言っていた。
見ようとおもえばみれるという。


目がみえないのに、ピアノを弾く人がいる。
目がみえないのに、絵を描く人がいる。
目が見えないのに、走る人がいる。
それを考えたら、なんだか、すごく自分がちっぽけにみえてくる。

昨夜の夢は、
行ったこともない、明るいどこかの、スタジアムの端っこに、
自分の身長ほどの棒を持って、私は立っていた。
障害物が目のまえにないことを
確認。
目を閉じた。
一人で、ゆっくりと走ってみた。
こわかった。
目の前になにもないとわかっているのに、
怖くて、すぐに目を開けた。
最近は、夢をよく覚えている。
夢占いなど信じないのだけど、
何か暗示しているものがあるような気がしてならない。

昨日今日とアルアインは冷えていて、ただ今、13度。
今日から2月。








Al Ain








        18色のSinoartの水彩絵の具セットには、なんとも言えないさわやかな、シャーベットグリーンがはいっていて、幸せを感じる。

きょうは、絵つながりの友人がやってきた。
この町、アルアインで、11年の彼女は4人の子供がいる。
その中の二人は、スーダンから、養子にしたという。
うちは、たったひとりのこどもでも、
あたふたしているというのに、
4人を育てるというのは、
どういうひとなのだろうと、
ホントに興味があった。

イギリスに残した両親は、
年をとっていく。
テイーンの子供は難しい年ごろ。
子どもの大学の学費。
定年後の生活。
兄弟の離婚などなど。

どこでも、それぞれ問題を抱えている。

どれだけ、遠くにいる娘のことを
心配しても、何も、親としてもしてやることができない
はがいさから、いらついている。
どれだけ、いらいらしても、
現状はかわらないのだとわかっていても。

ポジテイブにかんがえても、
1日だし、ネガテイブに考えても1日。
なにも、かわらないのであれば
ポジテイブな1日を過ごしたほうがいい。

1日1枚をここにポストするのは、なかなかの気分転換になっている。

そう、絵の才能があるとは思えない。
でも、続ける才能はあると思っている。






Monday, January 29, 2018

Break time









数年まえある家にパーテイによばれて、帰るときに
車のカギがないことに気がついた。
あちゃーまたか。
キーホルダーは、娘が持っていたワニかなんかをつけていた。
いい年したおばさんが、わたしのワニみてません?
こんなサイズでこんな形なんですがと、説明しながら
自分が動いた経路を歩いてみる。
ジャーお先にといったあとだったので、
さらっとかえりたかったのに、
なかなかワニのついた車のカギは出てこない。
なーーんだってところから、結局でてきて、
事なきを得たけれど、
ああいうのは、頻繁におこる。
なかなか学ばない。


昨日も、モーザちゃんの家からでていくとき、
ジャー、また来週ね、
といって玄関をでたあと、
車のカギがない。
スマホと、財布と、鍵をどこかに、わすれたとなると、
全く身動きができなくなる。
まー、スマホと財布をだれかの家にわすれたとしても
居所が分かっていれば、大丈夫。
しかし、車のカギがなければ、帰れない。
玄関先で、バッグのなかをさがしても、
どこをさがしてもない。

結局、家の中にもどり、
モーザちゃん、私、車のカギ忘れたみたいやけど、
しらん?
といいながら、座っていた椅子とか、テーブルとかみてみたが、ない。
モーザちゃんの冷静なひとこと。

緑、あなた左手にもってるやん。

そう、私は鍵を左手にもっていた。

手にもっているのに、探していた。

モーザちゃんにしてみれば、何、このおばさん、受け狙いか、それとも、
ホントに、ぼけてきてるのかとおもったにちがいない。

毎日、最近心地よい温度がつづく。
UAEでの、ベストのシーズン。
そのせいで、頭がとけてきているのか。

イギリスにいる娘に、いま、とんでもないことがふりかかっていて、
それで、気がそぞろになっているのか。

ただのボケなのか。

アルアインは、17度。


今日は、気合はいっているよー。
がんばろう。












Sunday, January 28, 2018

Al Ain Meseum、UAE



先日、新しい絵具を買ったので、試してみた。
Sinoart。
色が鮮やかすぎて、ちょっとむずかしい。
これは、頼まれたポートレートなのだけれど、
気持ちいいくらい似てないので、
やりなおし。
ここUAEで売られている生地は、日本製が多い。
主に、白の生地でしたてられる男性の服地。
白なのだけれど、下着が透けない白の品質は、
世界一だとか、仕立て屋さんのおじさんがいう。
さすが日本の技術はどこへいってもすばらしい。




絵手紙を描いていたが、うまくいかなかったはがきの表で練習。
写真を撮って、処分。
今から毎日1枚の紙を処分していくようにすれば、
倉庫が少しでも片付くはず。
男性の腕がすごく好きで、
練習するもなかなかうまくいかない。





アルアインは、ただいま18度。
ちょっと今日は、温度低め。

では、よい1日になりますように。



Al Jimi area, Al Ain



Al 




この国で、ペンシルキャップなるものをみたことがない。
この町で一番大きな文房具屋さんで、
水彩の紙を、買う。
そこで、人に頼まれた、画材も少し手にいれることができる。
いつもこまっているのは、短くなった鉛筆を長くして使うための
キャップが売っていない。
日本で買ったけど、
相変わらず、物忘れがひどく、ある日
飛行機のなかにわすれたきり、
手にはいらないまま。
この国では、短くなった鉛筆をキャップをしてまでつかうひととかはいないらしい。

ドローイング用の鉛筆は、安くはないので、
とことん使いたいところ。
優しいスタッフが、メーカーがもっていれば取り寄せてくれるというので期待している。


そんな時、彼はなにをおもってか、鉛筆と何ら関係ない、
水彩の絵の具、水筆付きがあるよとみせてくれた。
18色で、2,000円ほどの絵の具は、たいそうなガラスケースに入っていた。
新しい画材がでると、
ついつい買って試してみたく,
早速購入。


家で試してみたら、
中国製とはいえ、
なかなかいい。
ちょっと、子どもむきなあざやかさが、
気になるけれど、前向きにみれば
明るくて楽しい18色。
赤は特に、ローズ系がきつく花を描く人向きかなとも思う。







Saturday, January 27, 2018

Al Qattara souq, Al Ain


15cm x 20cm




時々、アクリルで描く。
これは、ずっと前にリンゴを描いていた小さなキャンバスのうえに
塗り重ねてみた。キャンバスは永遠に色を重ねることができて便利。
水彩は、それができない。
3原色に、オリーブグリーンと、オレンジと白で、6色で描いてみた。



神様お願いです。
うまくいきますように。
無宗教のくせに、こまったときだけ、神様をたよるのは、
失礼だろうと、神社やお寺に行っても、あまり、真剣に
お願いごとをした記憶がない。
100円や200円程度のお賽銭で、願いをかなえてもらおうなんて、
そんな無謀なことはしたくないと常々おもっていた。
私がもし神様側だったら、
冗談じゃないよ、
今まで、何にも、自分のことなんか考えてくれたことがないのに、
こまったときだけ?
それも、100円?
やってられん。
と思うはず。

しかし、これも、寄る年波か、
最近、神様お願い助けて、、。
なんてことで、無意識に手を合わせている自分がいる。
神道なのに、般若心経を読む母の気持ちがわかるようになってきた。

日本人は世界でも珍しい国民だときいたことがある。
誕生の祝いに、神社にいき、
結婚式は、教会にいき、
葬式で、寺にいく。

タイに行った時、彼らの信仰心の深さにはおどろいた。
町のあちこちに、祈るところがある。
日本のデパートの前にも祭壇があった。
ガネーシャは、飾られた花でみえなくなるほど。
出勤途中のひとたちが、マリーゴールドや、らんの
花輪を買ってきて備える。特に、若者が多いのには、驚いた。
地面に膝をつき、無心に祈る若者たちの姿は美しかった。
彼らは、どんなに急いでいても、そこで、祭壇の前を通過するときに、
手をあわせて、目を閉じる。
何かに祈る姿はほんとに、美しい。

神に祈るというのは、誰かに強制されてするものでもなく、
自然に魂の中から出てくるもの。
何かがうまくいったとき、
神様ありがとう、みたいな気持ちがあってもよいなとおもいはじめた。

昨夜描いたこのおじいさんは、アルカターラ市場のカフェにすわっていた。
もう、かなりの年齢らしかった。
抱きしめると、
粉々にくずれそうなくらい小さな小さな人だった。
dつぶらな、深-い瞳が、なんだか、神様みたいな何とも言えない雰囲気だった。

神様は、もしかしたら、自分のすぐそばにいるのに、
気づかなかいまま過ごしているのでは?と感じるときがある。


では、よい1日を。
アーメン 笑












Thursday, January 25, 2018

Infinity






昨日は、サルサの夜!!!
水彩のレッスンの間中、サルサの音楽が外で流れていて、
心は、浮かれてしまう。
レッスンが終わると、さっそく、庭に出て、サルサの見学でもしようとおもったら、
さっとわたしの手を取ってきて、踊るぜ!!!みたいなことをいったのは、
そのアートセンターのオーナーのオマーちゃん。
ちゃん、と言うのは、私の息子くらいの年だから

イギリスから来た、サルサの先生は、もう、めちゃくちゃ熱い。
誰でも一遍にファンになってしまう。
教え方がうまいし、構成がうまい。



音楽がなりひびき、
よくまー近所から苦情が来ないもんだなとおばさんは心配してしまう。

Shall we dance?という日本の映画を思い出す。
竹中直人と、役所広司が、トイレでダンスの練習をするシーンは、
何度見ても、涙が出るほど笑えたものだ。

サルサの夜にあつまったひとたちは、
かなりの数。数分ごとに、パートナーを変えるので、
いろんな人たちと、知り合える。
初めての人と、手と手を取り合って踊る。
多分ほとんどが外国人。
要は、出稼ぎのひとたちの集まりみたいなものだ。
肌の色もいろいろ。
仕事もいろいろ。
そこで、一つになれるのは、
ただ踊りたいということだけ。

シングルの人は、そこで、新しい出会いを見つけることもできるだろう。
人の前で踊るのだから、シャイな人はまずいない。
パーテイーがお開きになっても
ダンスが止まらない数人は踊り続けていた。

月の下でのダンスの夜がおわって、興奮冷めやらず家にかえると、
早速、スマホがうるさくなりだした。

Whatupで、サルサのクラスのひとたちが、

Thanks Omar!!!

Indeed, it would not have been so wonderful without you guys!

Bravo Omar! Was a great event!

Was awesome!!!という感謝の

メッセージを送るから。

この町でこういうことを始めたのは、彼が始めて。

イスラムの国で音楽とか、アートとかはなかなか受け入れてもらいにくい。

経営者オマー自身も、モスリム。

若いモスリムとして、、たぶん、変えていかなければならないものを

感じていたからこそ、始めたビジネスなのだろうと思う。

誰もやっていないことを、最初に始めるというのは、

簡単なことではない。特にここは、宗教的なものがある。

どうやってクリアしていっているのかはわからないが

若いのに、ほんとにすごい人がいるものだと思う。











Wednesday, January 24, 2018

Music Lover








               いろんな色で遊んでみた。
          



抱かれるのが大嫌いなやつ。
ぼろ雑巾のようになっているので、控え目に生きているのかと思いきや、癇癪もち。
月に1度ほどだけど、真夜中のDVはわけがわからない。
このままこの生活をつづけるのか。
悩んでいた昨年の冬。
道の真ん中でへたり込んでいる若いお姉ちゃんをみつけ、
病院に運ぶ。保険証をもっていなかったので、実費。
高かった。
1か月ほど、うちで預かり介護。
そのうち、元気になって、
やんちゃをしはじめた。
抱かれるのが大嫌いな古女房を後目に、
若いおねえちゃんは、抱かれても、トロンとして
あー幸せみたいな目になり、白い肌は光を放っていた。

若いお姉ちゃんが回復してくると、
決断をしなければならなかった。
古女房であるぼろ雑巾DVと、若いお姉ちゃんとの一夫多妻みたいな新しい生活をする?
とおもってみたけど、やはり、それは争いのもとだし、両方の世話をするほど私も暇ではない。
ぼろ雑巾のようになった古女房と、
若いおねえちゃん、ノーラは、ちょっと仲良くなり始めていた。

ぼろ雑巾と、ノーラをみていると、
大変もうしわけないが、ノーラは、もう、言葉では、形容できないほどかわいかった。
こんなことは考えてはいけないとおもっていても、つい、どちらか選ばなければならないとなったら、ノーラのほうだなーと、思い始めていた。ぴちぴちだし、
抱かれるの大好きだし、白い肌は宝石のように光っている。

1.古女房を捨てて、若いお姉ちゃんに乗り換える。
2.どちらも家に置く。
3.ノーラにでていってもらう。

この中の一つを選ばなければならなかった。

結局、ぼろ雑巾DVの、古女房を見捨てることは、いまさらできない。
死ねといっているようなもの。
ノーラほどの美しさと、若さがあればどこででも生きていける。

ということで、
ノーラがここに滞在した1か月は、
不思議な時間だった。

若いお姉ちゃんに走る男性の気持ちがよく分かった1月だった。

ノーラがでていってから、すっかりまた、ぼろ雑巾DVの天下となった我が家。
昨夜は、また、夜中にパンチをもらった。
うちのぼろ雑巾DV猫、ハニーは、意味もなく、
夜中に私の顔を殴る。
パンチの先には、するどい爪がついている.


アルアインは、冷えています。
今日は、16度。
ふつうは、ベランダにおいたぼろ雑巾ハニーのトイレを部屋の中にいれた。
さすがに寒い。
日本の桜のころの温度です。

では、よい1日になりますように。






Tuesday, January 23, 2018

Love is blind







Hosai Mojaddidi

When you're with your spouse it's natural to get lost in the 'routine' of life.We become so distracted by the hustle and bustle of everything and all the things we need to do and take care of, that the days and nights become blurred and before we know it, years have passed.

But we mustn't forget to actually stop from time to time and really value the time we have in each other's company.

A good exercise that I recommend for all married couples is to find an opportunity to stop whatever you're doing take a long hard look at your spouse while they're in the  middle of something.

Let's say, for example, your spouse is engage in an activity without you, like washing dishes, cooking dinner, folding laundry. checking email, on the phone, flipping through a book/magazine, channel surfing, putting dishes away, wiping off their make-up or shaving. ironing their clothes, reading a book to the kids, cleaning out the fridge, wiping down the counters, playing on the floor with the kids, sipping their tea, praying etc.

While they're engaged in any of the above activities and not really taking notice of you, watch them intently, focus on their actions, focus on their facial features, watch their body but look beyond the physical form that you see. Instead think about their beating heart and the blood that's running through the course of their veins think of the breadths they're taking, think of the tension in their body and the warmth of their touch.

Now think of the worries that burden them. What are they?
Who are they? Think of the constant pressure that these stresses place on their heart, on their lungs, on their digestive track, on their muscles, on every part of their physical body.

 Do they worry about their health or your health?
Do they worry about their aging parents?
Do they mourn for a parent. sibling, or child that they've lost?
Do they worry about their job security?
Do they worry about finances and being able to provide for the family?
Do they worry about your young children and their health or well-being?
Do they worry about your teens and their spiritual, mental and physical health?
Do they worry about your safety in this toxic age of increased racism?
Do they worry about their own spiritual heart and standing with God?
Do they worry about all of the above and so much more?

New feel the weight of all of these things. Which them and imagine how they carry all this weight on their body everywhere they go,every minute of every day. Even in that moment while they are distracting themselves with some task or activity the chances are their mind is consumed with one major worry or multiple worries all at once. Think of the toll such a constant barrage of stress must be placing on their actual body.

And yet where are they? They're there with you. They're committed to you. Even when they fail and make mistakes, they're still there.

Now let gratitude fill your heart as you watch them with these intentions...

Watch them and be grateful for their living, warm presence next to you in this life.
Watch them and remember all the good they've done for you.
Watch them and remember the laughter you've shared.
Watch them and remember the intimate moments you've shared.
Watch them and remember the tender moments when yo were broken and they held you together.
Watch them and remember the times they defended you even when you couldn't defend yourself. Watch them and remember when they walked by your side into a gathering and you beamed with pride.
Watch them and remember how they honor your loved ones.
Watch them and remember the amazing places you've visited together.
Watch them and remember the day your children were born.
Watch them and remember the days you were sick and they comforted you.

Our spouses may not always do or say what's right.  They may often frustrated us, defy us, annoys and even bring us to tears, BUT, we must do our part to remember their good, None of us are perfect.We can't be. But we must reward loyalty nonetheless and what defines loyalty better than spouses who remain committed to each other despite all the pressures and stresses of life?

When we remember their good often, our gratitude for their very presence will naturally increase.We will begin to appreciate their actual existence and not allow one day to  pass where we take them for granted. Not a day will pass when we aren't grateful to feel their warmth next to us as we sleep and  to find them when we wake.

Every single  day couples are torn apart one day or another. Whether their marriages dissolve or they are separated by death, there is always a great deal of remorse and regret over all the time wasted and lost on  ingratitude, resentment, pettiness, etc.
The remedy for these things is to purposely, intentionally, and regularly force yourself to look, to take a deep, long look at your spouse and be grateful for them.And obviously, for them to do the same.

May God protect all of our marriage s from these diseases. And may we all, husband and wives, increase our gratitude and take these moments of deep reflection and consideration of our spouses seriously.



倦怠期を英語でなんていうのか?
なんてことを友人としゃべっていたら、後日これが送られてきた。
友人は持つものだと思う。



きょうは、家の前のセブンイレブンがついにオープン。




よい1日を。


Monday, January 22, 2018

Zakher area, Al Ain




出かけたところで、スケッチをする。
家に帰ってから、紙におこして、
思い出しながら描く。



いい絵を描こう!!!
いい絵とはなんだろう。
最近つとに考える。
手先を使うことは、
頭に刺激が行っていいらしい。
あなたは、毎日絵を描いて手先をつかっているから、ぼけないわよ、
とかひとにいわれることがある。
しかし、これは、全くあてにはならない。
有名なピアニストでさえ、
アルツハイマーには、勝てなかった例を知っている。


母は、84歳。
この年にありがちな症状は、でてきていると
家族がメッセージをくれる。

最近、自分がそうなったら、どうするだろうと、
自分に置き換えて考えてしまう。

自分のことが分からなくなったり、
自分の子供に、どちら様ですか
とかいうようになるのだろうかと、
不安になるときがある。

母には、せめて、今度会うまでは、
私のことを覚えておいてほしい。


Sunday, January 21, 2018

Light and shadow




         遠近法を教えているときに家だけ描いた。
         後で、習字に使う墨で、バックをいれてみた。
























              昨日は、用事で、Sheikh Zayed Meseum 。




何年も前に描いたここのマネージャーさんは、まだ、飾ってくれていた。





用事が住んで帰ろうとしたら、2匹の猫が観光客の間を堂々と歩いている。



             人を全く怖がる気配はない。
          おもしろそうなので、ついていってみた。





いったいこの2匹はどこへ向かっているのか、ついていってみたら、
トイレだった。
あんたもひまやねーってかんじで、向うにいるガードマンのおにいさんにみられていた。


ここは、この国を作った、王様ザイード氏の生誕地。
今年は、亡くなったその王様を祝う年らしい。

大変申し訳ないが、これといってみるものがない。
昔昔のここの生活の風景が再現されている。
ミュージアムといっても、絵は、ほんの数枚が飾ってある程度で、
これといってほんとになにもないのだけれど、
すごい数の観光客がくる。
私が行った時も、大型バスでどんどんやってきて、
この町で、一番にぎわっているのではとおもうくらい。
ザイード氏の意思を継いでいるとかで、入場料はない。
アブダビにある、ザイードモスクもただ。
あの、ひっきりなしに観光客が訪れるザイードモスクで、入場料を取れば、ものすごい金額になるだろうと思う。アブダビ州は、太っ腹。


Saturday, January 20, 2018

Indigo blue 2





人を好きになってしまうことに理由などないのではないかとおもう。

言い訳があれば家族にすればいい。
世間に拡声器を使って、人を好きになったいいわけを言う必要性はない。
言い訳などだれも、聞きたくはない。
恋ってそんなもの。
いくつになっても、熱い思いを持っていたいと思わないひとなどいない。
その熱意が仕事に向けられたり、家族に向けられたり、友人にむけられたり、異性にむけられたり、動物に向けられたり、趣味にむけられたりする。
生きているうちに、いろんなものに出会う。
好きな人にであうというのは、その中のひとつで、だれにも止めることができない。



もし、自分の旦那が、50分も延々と、不倫の言い訳を涙を流しながら、しゃべったらどうだろうかと想像してみた。
多分、15分くらいまでは、我慢するかもしれないがあとは、柱にでもしゃべればというだろう。君が妻として役にたたないから、ほかの人を好きになったんだ。君は、料理は下手だし、英語は進歩しないし、愛想はないし、あれもできない、これもできないと、並べ立てるられるより、ごめん、あの人のことが好きになってしまったんだと、手短に言われたほうがどれだけ気持ちいいだろう。

そうかー、そうよねー。私から見たって、素敵だものね、なんて思えるような人に、心を奪われていてほしいと思う。
そんな、ひどいわ、わたしのどこがいけないのよ!!!
なんて、悲劇のヒロインみたいなことを私が、家人に万が一訪ねたときに、(   多分いわないとおもうけれど )、
男は、その質問に答えればいいのであって、きかれてもいないことをペラペラとしゃべるというのは、うどんに七味は、かけないで食べるタイプなのに、勝手に、一緒に行った人に、かけられてしまったようなものなのではないかとおもったりする。

先日偶然にも、男の涙のことを書いた。

幸せの黄色いのハンカチという映画で、高倉健が、警察に連れていかれる電車のなかでの、涙のシーンは、今でも強く心にのこっている。

男は、静かに涙を流す。
そして、多くを語らない。
涙のわけを、言葉で表すほど、雄弁であってはならない。
というか、ほんとのことは、雄弁には語れないのではないだろうか。

妻の病状をしゃべってしまうとき、だれが一体得をして、だれがそうでないのかを、
考えたほうがよかったのではないだろうか。
もし、自分がなりたくもない病気になって、家人が妻はあんなになったもんでと、
世間に言いふらしていたとしたら、それは、許されることではないように思う。
償いなどいらない、ただ、しゃべってほしくなかっただけだというだろう。













Friday, January 19, 2018

Jebel Hafeet





80%以上が外国人のここUAEでは、ほんとにいろんな人が来ていて、
一人の私の友人は、チェチェンからきている。

彼女は、ここのカレッジで、英語の先生.
絵をしばらくやっていたが、
昨日習字を習いたいといってきた。
私でよかったら少しはできるよと、
安請け合いをまたしてしまった。
モスクワにいるときに、
習字教室があったといって、
そのときの写真をみせてくれた。
ほう、モスクワで、習字?
日本政府が派遣した日本語の先生による日本語教室もある。
ここの大学で、日本語を教えていた先生が転勤でいまモスクワで
日本語教室をしている.
日本から見れば、地の果てのような国だけれど、
そんなところで、日本語に興味をもっているひとたちがいるってことだけでもうれしくなる。今年の夏、日本にかえったときは二人の師範の先生に教えてもらって、うん十年前にやっていた習字の感覚を少し取り戻した感じ。
なんでもかんでも、頼まれると、はいはいといってしまうというのは、
いかんと思いつつも、新しい自分の発見かなと、つい、受け入れてしまう。
自分の発見どころか、すっかり傷ついたりして終わるケースも多々あったにも、
かかわらず、あまり、こりてないらしい。





Indigo blue













https://www.facebook.com/greatbigstory/videos/1782681535367605
/

藍染は徳島で有名というのはあまり知られていないかもしれない。
絵の具の中に、藍色というのがあって、
これは、日本人には、きわめて馴染みの深い色。
ところで、あの藍色はどこから、来ているのか
知っている人は少ない。
なんと材料はm緑色のバジルみたい中たちをした葉っぱ。



この動画で、その工程をみることができますが、
生地になるまでに、はてしない道のりで、
商品になったものをこれは高いわ、なんてこの動画を見た後言えなくなる。
職人さんたちの手は藍色にそまっている。
職人さんの誇りに満ちた顔。
化学薬品を使わないむかしながらの工程。
こだわりを持った職人さんたち。
だれがなんといおうと、
これだけは、ゆづれないというひとつのものをもったあの取り組みかたをみていると
泣けてきそうになる。

中川家は面白いとか言って、youtube で、たらたら、コントなんかみながら、
たらたらと絵を描いているようではだめだ。













Thursday, January 18, 2018

Blooming






男はなぜ涙を見せないのか?
身近なところでは、
家人の涙は、暗がりで1度だけ。というのは、家族で映画を見にいったとき、
感動のあまり、家族全員泣いてしまったことがある。
もう、10年ほど前の話。
男は、涙を見せるなと言って育てられる。
男は強いものだと思って育てられる。
泣きたいときは、泣いたっていいじゃないかとおもうのだが。

2年前にいたアパートの裏には、アフリカ系の人や、インド系の人たちがたくさん住んでいた。ある夕方、男性の大泣きする声が響き渡った。
多分、母国で悲しい出来事があったのだろう。
だからといって、すぐに帰ることもできないのだろう。
ほとんどが、出稼ぎのひとたちで、
飛行機代が右から左といかないのが、私たち、出稼ぎ組の悲しさなのだ。
彼の泣く声は、あたりじゅうに鳴り響いたけれど、
同情の気持ちだけで、いやな思いはしなかった。
知らない人だし、男性でモスリムで、言葉も通じないとなると、
慰めに行きようもなかったのだけど、生まれてはじめて、
大声で泣き叫ぶ男性との遭遇だった。
大人の男性が泣くのをテレビや映画以外でみたことがなかったからだ。
そうか、男だって泣くんだ。

家人が1度だけ、映画館で泣いたとき、
人間らしいなとおもった。
私は、男が泣くのを女々しいとは思わない。
いつも、男が泣く女を慰める役ばかりでは、フェアではない気がする。
女だって、悲しさに耐えようとしている男を励ます機会があってもよいように思う。

何でこんなことを突然書いたかというと、
30年も前の会社の上司が夢にでてきた。
30年間もあってないし、
今どこで何をしているかもわからない。
どうしてその人が夢にでてきたのかはわからないが、
やたらと、色が白くなっていて、
すごく小さくて、うつむき加減の彼は、
壊れそうに見えた。
涙を我慢しているように見えた横顔を見た途端、夢は醒めた。

アルアインは、今午後3時で、22度です。














Tuesday, January 16, 2018

Al Ain Oasis





Al Ain Oasis は、デイツの木が森のように、なっていて、最近世界遺産に認定されたとこ
ろ。塀で囲まれていて、ゲイトを通らないと入れない。
昨日はそこに、用事のついでに、寄ってみた。
スケッチブックはいつももっている。
この町に18年、もちろんここも何回もきたことがある。
真面目な入口のおにいさんは、私が、わざわざ日本から来たとおもって、
念入りに説明してくれる。
ここから、歩いて博物館には、25分ですとか、この辺にあれがありますとか。
ここに18年もいるから、あなたより、わたしのほうが知識があるとおもうとは、
言えなくて、ほー、なるほど、すごいですね、を中川家のコント見たいにやっていた。
知っていても、知らないふりをするというのは、
ある意味での、やさしさだと学んだから。


1997年に日本を出たので、
浦島太郎のようになっているのは、わかっているのだけれど、
こんな面白いひとたちを、20年も知らなかったというのは、
ホントに、残念なこと。
上方漫才新人賞を、1995年に彼らはもらっているので、
わたしはそのとき、まだ、日本にいたわけだから、
知っていておかしくないが、
テレビをあまり見ていなかったというのもあって、
見過ごしたのだろう。中川家。
面白い。とにかく面白い。

先週、中川家の動画を偶然みつけて以来、大ファンになった。
もう、すっかりはまってしまって、何度も何度もみてしまう。
この、いまのテクノロジーに感謝するのは、とくに、
外国に住んでいたりして、
母国のことを知りたかったりする人を
どれだけ助けているかわからない。

中川家の小さいおにいちゃんは、かわいいし、
大阪の典型的なおばさんの真似をする弟のほうも大好き。
生で、ステージをみてみたいなー。
東京03は、面白いけど、家にはほしくないタイプ、でも、
中川家は、こんな人が家にいたらいいなーって思う。
毎日笑いが絶えなさそう。
彼らのいいところは、やはり誰かを、傷つけて笑いをとるタイプではないからだろうと思う。Ellen Degeneresに通じるものがある。彼女はほんとに、ジョークがうまいが、誰かを、中傷しての、笑いではない。オスカーの司会をしているとき最前列にいる有名な女優に大学を出たのかという質問をした。話の流れはよくわからないけれど、その女優は、いいえ、カレッジにはいってないわという。恥をかかせてしまったと思ったエレンは、
そうなの。でも、あなた、今回オスカーに2つも候補に挙がっているわよね。ひとつはいいとして、二つなんて、そういうのをなんていうかしってる?
”わがまま”っていうのよ。
会場大爆笑。
彼女はどんなことがあっても、人をいい気持にさせるジョークのセンスをもっていて、ほんとに、うらやましい。

この年になってよくわかる。
笑ってなんぼ。
中川家、ドバイに巡業でこないかな?

  














Monday, January 15, 2018

In quiet morning





この絵の下には、子どもの顔を描いたものが隠れている。
アクリルは、何度も何度も、塗りなおすことができるので、また、ちがったおもしろさがある。だから、失敗!と言って、キャンバスを捨てることはほとんどない。
色を重ねて何度も楽しむ。
昨夜は、緑色でキャンバスをぬったあと、人の顔が描けるのか、実験をしてみた。
緑ではじめたのは、ようは、チューブから出しすぎたというだけだったけれど。
緑の上に肌の色を重ねてみた。







昨日会ったロージーさんも絵が大好き。イギリスから来た彼女とは、
いろいろとうまがあう。
日本人って、アジアの中でも独特よねというので、
どの辺がというと、うーーん、といって
実は、、、と、話を始めようとした途端、ほかの人に邪魔されて、l;
聴けずじまいになった。彼女が何を言いたかったのかは不明のまま。

日本人は、本音と建て前を使って、世界一争いごとを避ける国民だということを書いてある本を持っていることを思い出して久しぶりに開けてみた。
数年前に買った本でつんどくになっていた。

題名、日本らしさを、英語にできますか?
松本道弘、ボイエ デ メンテ著

2.本音と建て前
日本の伝統的文化は、人々の態度や行動を極端なまでに制限し、抑制してきた絹織物のようなものであった。あらゆる生活面におけるエチケットは、こまごまと型どられ、因襲化されているので、日本人が他国の人たちとちがっていることは一目瞭然であった。
  日本人の生活は、日本的なハーモニーというべき和の要求により、また私欲なく他人の気ままを許す甘えの哲学を全うする必要性により、さらに複雑化された。
 そしてこの2重の文化的影響は、すべての正常な状況に置いて、率直で、ぶっきらぼうで、土足で踏み込んでくるような行為がタブーとされる社会を作り上げたのだ。

Japan's transitional culture was like a silken web that limited and controlled the attitudes and behavior of the people to an extraordinary degree. Etiquette, in all areas of live,was minutely defined and was so highly stylized that it distinguished the Japanese from most other people.
  The lives of the Japanese were further complicated by the demands of wa, or Japanese style harmony,and the need to fulfill the philosophy of amae, the absolute unselfish indulgence of others, ---dual cultural influences that resulted in a society in which frankness, bluntness and direct, aggressive behavior in all normal circumstances were taboo.





私欲なく、他人の気ままを許す甘えの哲学を全うする、、、、?
アメリカ人にはそういう風に見えているのかと驚く。
私欲がない国民?私欲がない人などいるわけがない。
インパルスのコントで、ももたろうというのがある。
犬がもらったきびだんごと、きじがもらったきびだんごのおおきさがちがうので、
争いになってしまうというもの。いや、これは、ちょっとちがうかな。

日本人はみんなマザーテレサみたいに思われているらしい。

東北大震災のときの映像は、世界をおどろかせた。
あんな大変なときでさえ、人々は、パニックにならず、整然とならんで、水の配給をうけ、食料を待つ。強奪などは耳にすることがなかった。
私欲がない国民と思われるのはああいうところからだろう。
日本には、ほとんど日本人しかいないため、和を乱せば、はじき出される。
ここ、UAEでは、80%以上が外国人。
そういう状況にもかかわらず、いたって静かな毎日が送れるのは
奇跡としかいいようがない。





今朝は、コメデイアンHasan Minhajをききながら、
水彩で、雪景色の描き方を練習することになっている。

ではまた。
よい1日を。





Sunday, January 14, 2018

A dream of indigo







小学生のアクリルのクラスを始めることになったのだが、
ふつうにキャンバスに描かせるのではつまらないなーと、いつもおもっていた。
絵を描いて、壁に飾っても、いったい何度それを見るだろう。
ほとんどみないんじゃないか。
じゃー、自分の描いた絵を毎日見る方法!!!
ご飯を食べるときに、必ず見る自分の絵。
これだ!!!
ということで、プレイスマットにしてしまえばいい!!
さえてる。さえてる。
サンプルを作ってみた。
その辺でひろってきたようなボードに描いた絵にニスをぬる。
テーブル周りで最も大切なものがなにかをわたしはしっている。
それは、熱にたえられるかどうか。

家人のイギリスの家に結婚したころに行ったとき、
私は、コーヒーが入ったカップを至るところに、おいて話こんでしまって、
よく、家人の妹におこられた。
カップのマークがつくからそこにおかないで。
それが、1か所や2か所だったら、まーよいとしよう。
どこへ置いても、怒られた。
1か所オーケーが出たのは、リビングにあるストーブの石の上だった。
どこにでも、あついコーヒーカップをおくような
だらしない私にも、反省点があるとはいえ、
日本で、コーヒーカップを置けないテーブルとか
カップボードとかもったことがないので、
実のところ、え?
なんで?
と、正直おもったことがあったが、
あれは、結局、家具に使われている、
塗料と、ニスが熱に対応しないことになっているからだというのが後でわかった。






ということで、熱湯を入れたコーヒーカップを5分ほど放置したら、
案の定、カップのマークがついてしまった。



写真ではよく見えないが、一番多き白い花の上部のニスが解けている。
熱対応のできるニスが存在しないかぎり、
わたしの、オリジナルプレイスマットづくり!!!
のクラスは、はじめられない。


今朝は、17度。


では、また明日。
よい1日を。


Saturday, January 13, 2018

Indigo T-shirt

私には、ほんとに才能があると、自負している。
女の人を描いたら、必ずといっていいほど、立派な男にみえてしまう。
今回は、あまりにも、その才能を発揮したものとなったので、
ここに記録することにした。



ここ最近、東京03に、はまり、
1日に1回は、見ないと
寝れなくなった。
あの、角田さんのキャラクターは、ほんとに、素晴らしい。
なぜ、そうなのかずっと、考えていたら、わかったことは、
わたしのなかに、彼を見るからだろうと思う。
私が言いたいことを、彼が言っていて、
そうそう、そうよねって、わたしもそうおもっていたのよ、
とオーバーラップするところがある。
社会生活のなかで、どうしても口にできない部分を
彼は口にする。
それが、彼の人気の秘密なのだろうと思う。

メンバーの一人が、コントのなかで、ほかのメンバーに、
飛び蹴りをするときがある。
毎回ではないが、
あれを見るたびに、ひいてしまう。
東京03のファンとしては、
どうにかしてあれをやめてほしいと、
メールアドレスをさがすもない。
そんな一ファンの声を聴いてもらえるとはおもってないけど、
だめもと。

ヤフーをよむと、日本のあちこちで
しつけとして
暴力が問題になっているスポーツ界をれいにとってみても、
あの飛び蹴りは、いただけない。
いじめで苦しむ子供たちの心境とか
考慮にいれてこそ、大人ではないかなと思う。
蹴りが入るそのシーンで、まったく、その必要性を感じないので、
なんであんなことをするのかわからない。
あれは、男としての心理なのだろうか。
あれが面白いと彼らがおもっているのなら、おおきなまちがいで
人が暴力を振るわれて面白いとおもう
人はいないということに気づいてほしい。

あんなことをしなくても、十分におもしろいのだから、
あれは、全くの蛇足だとおもうのだが。

よい1日になりますように。

Friday, January 12, 2018

Al Ain





イギリスにいる娘から、寄宿舎の食事がひどくて、
がまんできないとメッセージが届く。

今日の、朝食とランチが配られましたといって、
その写真がとどいた。
え、1日でこれだけ?
1食にしてもすくなすぎる。
高校生の子にこれだけ?




ひどいわ、先生玉子食べてるのよ。
私たちには、卵もないの。
待て待て、卵はごちそうのうちなのか。
どんな学校やのん?
先生たちの食事が先で、学生たちはそのあと。
先生たちの食事と学生たちの内容は違うらしい。
うち、寄宿舎代はらってるんやけど。
どうなってるわけ?
不満たらたらだが、遠くにいるわたしたちには、
なんにもできない。メールをうったところで、
それを真剣にとりあげるくらいのこまやかさがあるなら、
こんなものが、夕方の6時までの1日の食事なんて拷問みたいなことにはならないだろうから。
よく聞くと、今は、試験中で、不規則なために、こういうことになったらしい。
食べ物を買う余分なお金を持っていない子が結構いるらしく、
おなかをすかせて、夕ご飯の、6時を待つという。


何か送ろうか?というと、その言葉を待っていたのみたいだったので、
結局、アマゾンジャパンで調べ始めたけれど、食べ物はイギリスには、発送できないということであきらめた。
アマゾンUKで日本食を探す。
課税されているため、もともとの値段の何倍にもなっている。
ロンドンにJapan Centreという日本食材の店があって、
そこにも、ふりかけと、マイクロウエイブで、チンして、食べられるごはんを注文。
こちらも、日本の5倍ほどの値段になっているものもある。
こんなのなんども注文させられたら、
うちは、破産する。



Dubai










ここイスラムの国では、基本的にはお酒は飲まないことになっているが、
うちのアパートの横にあるホテルには、バーが二つある。

月に1度ほどだけど、友人とそこで、ビールだけ注文して750円で、3時間くらいしゃべってしまう。いい年して、20歳の若者みたいなけち臭いことをしていて、相変わらず、成長していないなと思ってしまう。友人は、お茶だけなので、私より、たちが悪い。
まー、3時間いても、バーには、私たちだけで、若者は、バーの外でさむーとか言いながら、飲んでいる。

友人は、旅行病にかかっていて、毎月どこかに飛ぶ。
来月は、中国で、氷祭りをみて、3月は、なんとか、とか言っていたが、
毎月のことなので、もう、忘れてしまった。
去年は、一人で、モンゴルの犬ぞりに挑戦、アルゼンチンでタンゴを踊り、イランの山を登り、インドでヨガをして、、、いったい今まで、彼女は何か国にいったかわからないほど。
もう、意欲よりも、経済力がすごい。


彼女は、福岡から、ここ大分の禅寺に旦那さんと一緒に、
滞在したことがある。
あれは、2年ほど前。
とにかく、日本が大好きで、
日本のすばらしさを話しだすと止まらない。

大阪から、福岡に飛び、
それから、電車で、3時間で大分へ。
福岡の大ファンになった話だけでも、
かなり長い。

会うたびにあのお寺はよかったわーと
始まると、小1時間はかかる。

英語が喋れる
禅僧さんなので、
世界中から、
お客さんが
来る。
禅僧さんみずから、
手打ちうどんワークショップをしたりと
それは、それは、楽しかったらしい。


お寺のすぐ近くには、温泉があって、毎日歩いて通ったとか。

お寺の周りには、竹林があって、雨にぬれたその様は、形容しがたいとか。

何度も聴いているとまるで、わたし自身、行ったことがあるような気もちになるほど、
その様が私の頭の中にぐるぐるしてくる。

で、ネットでこのお寺の件で調べてみたが、わからない。
彼女のお寺で撮ったという写真を待っている。

日本のことを日本人である私が知らないで、
外国人のほうがよく知っているというのは、
なんだかおかしな話。









Wednesday, January 10, 2018

東京03






Youtube で、偶然に”東京03”というのを見つけてしまった。
すっかり、はまってしまって、
なにもできない。
ベッドにはいっても、見てしまう。
歯を磨いているときも、
アイロンをかけていても、
食器を洗っているときも、
とにかく、
面白すぎて見てしまう。

うちはテレビはみない。
テレビはあるけど、ただの箱。
接続されていないので、使えない。
ここUAE にきたころは、
NHK がうつっていたけれど、
今は、見れなくなった。
ということで、
Youtubeで、日本の動画をみる。


いつも思うのだが、人を笑わせて、
稼いでいるひとってほんとに、
心底尊敬してしまう。

人を泣かせるより、
笑わせるほうが
100倍むずかしいときいたことがある。

彼らの、人間観察は素晴らしい。
誰もが、経験したことがあるような題材がおおいので、そうそう、こういうことあったーと、だれもが自分の過去と重なるところが、人気の秘密なのではと思う。
Youtubeで見る限りだけれど、彼らのいいところは、メンバーの3人以外のひとを、見下したような言い方をしないこと。

残念ながら、メンバーのなかの2人がアルファルファというなまえで
コントをやっているのを見て、結構おどろいた。
その中の一つに、’’チェンジ”というのがある。
デリヘルの人が彼らの家を訪ねる。
顔をみただけで、チェンジというと、
そのお姉さんは、逃げ出すようにかえっていくのを、
男二人が大笑いするというコントで、すっかりひいてしまった。
どこが面白いのかわからない。

しばらくして、違うお姉さんが、デリヘルとして、やってくる。
彼らがドアをあける。
顔を見て、また、チェンジというと、
おねえさんは、かえっていく。
男側は、それをみて、笑い転げる。
それを何度もくりかえす。

あれは、外国だったら、たぶん、
大きな人権問題になると思う。
あれは、明らかに、男性側からだけ見た世界が演じられている。
ああいうことは、ジョークにはならない。
LGBTがこれだけ、世界的に取り上げられるようになり、
人種差別に対するデリケートな問題も毎日目にし、
男女の差別も声高に言われているこの頃に、
あのビデオの存在がよくわからない。






”職業に貴賤はない”。
それを大人が教えなければならないのに、
その真逆のことを、公衆にさらしても、だれもなにもいわないどころか、
賞賛するひとさえいる。
私には、不思議な世界にしかみえないのだが。


東京03になってからの作品はすばらしい。いつか生のステージを見てみたい。


今日は、アルアインは、14度。
ちょっと、温度低め。

よい1日になりますように。







Tuesday, January 9, 2018

Al Ain






わずかだけれど使っていない不明のお金が引き落とされたことがあって、
年末にクレジットカードをつくりなおした。
5日ほどでその新しいカードが届いた。
ガソリンスタンドでの支払いをしようとしたら、
ピンナンバーが違うといわれて、
使えなかった。
結局,現金で支払いをすませ、
ガソリンスタンドの従業員にカードは返してもらい、
おかしいなーと
車のなかで、
しみじみながめ、
ナビゲーターシートに置いた。

用事で買い物があったので、
そこで、もう1度ためしてみようとおもい、
カードを探すもない。
どこを探すもない。
車の中を何度もさがし、バッグのなかもなんどもみるけどない。
1度も使わないまま、クレジットカードは消えた。

わたしには、よくこういうことが起こる。
ついさっきまであったものが
うそのようになくなる。

今回は、作ったばかりのクレジットカードだったけれど、
それを拾った人が使おうと思えば、使えるわけで、
すぐに、止めて、新しいのをつくらなければならなくなった。

自分のておちで、新しいカードをつくるときは、
費用がかかる。
全く余計な出費。


娘が持っていたリップクリームがかわいかったので、ほしいとたのんだ。
娘は、あっさりといいよとわたしてくれた。
ほんと?いいの?
いいよ、もう一つイギリスにもってるから。
ということで、かわいい緑色の
缶に入った直径3センチほどのリップをバッグにいれた。
とおもっていた。
もうない。
いくらさがしてもない。
もらって以来、1度も使わないまま、消えた。


ここに書ききれないほど、いろんなものが突然消えてしまう。
財布や、IDカードや、免許証をなくしていないのが、
奇跡かもしれない。




今朝は、18度。
珍しく青い空が見えない朝です。

よい1日になりますように。










Monday, January 8, 2018

Al Ain camel race track


                 花の上で。






善行は砂に刻まれ、悪行は、岩にきざまれる。

先日の夜のドバイで、大興奮だったとはいえ、
列を乱そうとした自分がどうしても、
許せなくて、
社会的に制裁はうけてないにせよ、
自分のなかで、大人げないことをしてしまったと、
後悔の念でいっぱい。
何万人ものひとたちがあつまり、一つのもので、
もりあがり、私も含めてみんな浮かれ気分だったということは、
言い訳にはならない。
いつも、どこに行っても、並ぶことがあたりまえとなっている生活のなかで、
それができない人に不満を持ったことがあったけれど、自分がそういうことをしてしまう側になった時は、口を閉ざすというのは、フェアではないし、今後の戒めとして、
ここに記しておこうと思う。
 
Logan Paulも、日本に来て、すっかり浮かれ気分になってしまって、
自分を失ったのだろうか。

おかしいのは、彼のしたことを、批判する評論家が山のようにでてきたこと。
人のことは、よく見える。
自分のことは、見えない。
そんなものだと思う。


よい1日になりますように。
では、また明日。









Sunday, January 7, 2018

WHO's 2008 guideline







イギリスにいる娘から、メッセージがきました。

Logan Paul が、青木ヶ原にいったよ。


とだけ書いてあって、だれのことなのか、なんのことなのかわからなかった。
ネットを読んでみた。
彼は、22歳のアメリカ人。
Vloggerといって、ビデオをYOUTUBE に投稿し、
広告代を稼ぐ有名な人らしい。
彼が青木ヶ原で、自殺した若者の遺体を見つけた。
その前で大笑いをしているビデオを投稿。
6,000,000人がみたところで、ビデオは削除された。
彼が日本で撮ったほかのビデオをちらとみてみた。
あれが、若者に受け入れられているのかと思うと、
複雑な気持ち。

あれは、気が動転したからと彼は、謝罪したけれど、
そうよね、わかったわといって、彼の、15,000,000のフォロワーは
また、彼の、フォローをつづけるのか。

娘にどう思ったかを、訪ねている。
返事待ち。




Saturday, January 6, 2018

Rove Downtown Dubai






   偶然に見つけたこのホテル。ホテルの中にあるスーパーで好きなものを買って、
ソファーで、食べることができるなんてホテルはいままでにありませんでした。
また、行きたいところ。
世界で一番高いビルを見ながら、食事もできます。







日本では、たいていのところどこに行っても、ウオッシュレットあんのになー、
何でここにないねんと、連発して帰国した、姉の疑問を解くべくネットでさがしているけれど、これがなかなかわからない。
東洋陶器でさがしていると
不思議なブログをみつけた。

沖縄のトイレのことだけを書いているという人がいて、トイレが大好き。TOTOになるまえの東洋陶器という名前の時の作品がことのほか気にいっているという。

去年始めたブログらしいので、まだ新しいとはいえ、毎回トイレのことだけを書く人っていうのが単純にすごいなと感心する。

日本人は、世界に誇るきれい好き。

ずっとまえだけど、フィリピン人の人に、日本人大好き。だってきれいだから。
だって、毎日お風呂はいるでしょ?
これは、あまり気づかなかったことだけど、なるほど、毎日風呂にはいるというのは、
世界広しといえども、日本人だけ。お湯が高いイギリスなどは、1週間に1回だったと、
家人は言う。映画でも、夕食から帰った家族がシャワーもせず、服をぬいでそのまま
ベッドにもぐりこむシーンがある。汚いなーとおもったりするのは、日本人だけではないかとおもう。

ということで、とにかく、きれいでいたい日本人。

あーだこーだネットで、検索しているうちに、ついにUAEには、ウオッシュレットがない理由らしきものがあるひとのブログで判明しました。
ここのトイレのよこには、ホースが必ずといっていいほど、ついていて、
それで、お尻をきれいにすることになっている。
人がどういう風に使っているかは、見る機会がないので、ひとそれぞれらしいけれど、
彼らが使った後のトイレは、とにかくびしゃびしゃ。
いったいどうしたらこうなるの?
とだれもが思うはず。
だから、ウオッシュレットをつければいいのに。
UAEのひとたちにいわせると、ウオッシュレットをつけるのはいいが、やはり、そのホースは取り除けないらしい。
ということで、ウオッシュレットは、水をあびるとこわれるので設置できない。
UAEの人たちと、あのホースは切り離せないということがわかったのだけれど、
これだけ、近代化した、ドバイでなぜ、あのホースがないとだめなのか
と思われる人も多いはず。
宗教的なものがかかわっているのだろうなと推測。

疑問が解けたので、ほっとしました。

今日も、晴れ。

では、よい1日を。








Al Ain Camel race track






サンドバギーで砂漠をがんがんはしっているときに、
ラクダの死骸をみつけた。
右の男の子二人は、
今回お世話になった、Mさんの親戚。


うちの家族は、
砂漠ももちろんはじめて、
こういうものをみるのも
はじめてで、
大興奮。


ラクダは死ぬと、砂漠に捨てられることがおおいという。
大きすぎるし、
埋めても、
風邪で砂が動くので、
死体が出てきてしまうケースがあるので、
あまり、
埋葬の意味がないとかともきいたことがある。

鳥に肉を提供する
自然葬とか呼ばれるのと似ている。
いまは、もう、UAEには野生のラクダはいないので、
ラクダは誰かに飼われているとはいえ、
やはり、ほとんど場合
砂漠とともに、
生きていくらくだたち。

死んだあとは、
結局、砂漠に帰っていくというのが自然の形なのだろう。



見とれていて、噴水の写真をとりわすれて、
光につつまれる、Burj Khalifaのだけ。
ちょうど、14年前、
1月6日、2004年に、工事着工。
2010年にオープン。

この828mの世界一高いビルのスタートが、
全くの砂地だったなんてことを誰が信じられるでしょうね。
ビルに上る途中に、
工事の過程の写真が飾られていて、
砂地をほって、
土台をつくるところからの写真があるのだけれど、
ホントに人間の力というのはすごいと思わされる。



同じ日に、
砂漠で、自然葬になっているラクダをみたあと、
人工で作られた、世界一のビルをみあげ、
そのビルの前に作られた,人工の池で来る広げられる噴水のショーをみるという、
自然と人工の両極端を経験した不思議な日だった。

そうここUAE は、
自然と人工がまさにまざりあった
面白いところ。



日本人は、エスカレーターで整然と左にならび、
電車の乗降でも並び、
トイレでもならび。
これは、世界が驚愕する日本!!!
とかの題名で、
よくyoutubeに
あげられている。

Burj Khalifaの噴水を見に来るひとたちは、
毎晩、私の田舎の人口を上回る数。
ショーのあとで、
ホテルにもどるとき、
その整然とならぶという
ことをすっかり、
おこたり、エスカレーターに割り込みしようとして、
ならんでいた
おにいさんに、
後ろに並べよサインをもらってしまうという、
はずかしい日本人像をつくってしまい、
反省している。









日本からの家族は、
旅行の間中、
こんなお金持ちの国なのに、
どうして、
どこのトイレにも
ウオッシュレットがないんだ!!!
と、不思議がる。

実は、わたしもそうおもっていたので、
これから、
TOTOに、
メールを送ってみようと思う。





14年前には、砂漠だったところをこれだけにする
お金があるのに
ウオッシュレットがないなんて。

最後の最後まで、
それで、大笑いして、日本に帰っていった家族が
やたらときょうは、恋しい。


Friday, January 5, 2018

Dubai Creek








昨夜は、姉と姉の子どもと、
世界で一番高いビルの、夜の噴水を見にいった。
彼らにしたら、最後のUAEの夜。
その世界で一番高いビルBuij Khalifa  を、 Dubai Mall側から見る。
噴水は、6時から11時まで、
30分毎に、5分ほどのショーとなっていて、
見事だった。
しかし、人込みも見事。
世界で一番、人が集まっているショッピングセンターではなかったかな。
もう、人でがすごくて、重量オーバーか、エスカレーターが止まってしまっているものもあった。レストランは、どこも、列ができていて、
夕ご飯にありつくのも大変。
まるで、日本での、有名なお寺での初詣並みの混みよう。
姉は、世界中から集まった人たちを、ご飯をたべながらみることができて、
面白いと、子供みたいにおおはしゃぎ。

朝には、日本人の友人で、砂漠に住んでいるMさんのところで
サンドバギーにのせてもらって、もう、
大喜び。

すっかり、UAE を気に入ってなごりおしそうに、
去っていった。
子供のころは、喧嘩ばかりしていたけれど、この年になって、やっと、姉妹のありがたみがわかる。ふるさとは遠くにありて思うものとはいうけれど、やはりここUAE から日本は遠い。

今夜から、また、普通の日常がはじまった。







Wednesday, January 3, 2018

Memory









2日続けて、アルアインのラクダレース場にいった。
家族は、これこそ、アラブよね、と大はしゃぎ。
ラクダのトレーナーとして、働くおにいさんたちは、ほとんどが
片手にスマホ。
これも、時代の流れ。
映画でも見ながら、乗っているのだろう。












私たちが来た、2,000年には、
子供たちが、ラクダのジョッキーとして働いていた。
今考えれば子どもが働いているなんて、
不法なわけでおかしいとおもわなければならなかったのだろうけど、
来た頃は、砂漠にとけこんだ彼らの姿に、
あまり違和感がなかったのをおぼえている。
結局、それからすぐに、
子どもの就労ということで、
世界からの批判を浴び、ロボットのジョッキーに変わった。
2,001年ころだから、
ネットの飛躍的な普及と比例する。
観光客とかが、写真をとったものが、
拡散しはじめ、
UAEは、子ど藻を働かせているということになったのだと思う。
パキスタンなどから、
ラクダの乗りてとして、
送られていた子供たち。
手元に写真が残っていないのが、
悔やまれる。

家族はこの、ロボットジョッキーにむちがついていることに
やたらと喜んだ。
ラクダのよこをレースの時に、伴走する車からリモコンで
操作され、無知ボタンがいれられると、
この無知がらくだのお尻を叩く。
ラクダはたかれて、必死で走る。

なんだか、どこかの夫婦みたいで、
結構笑える。