飲む水がある。
食べるものもある。
トイレにいけば、紙がある。
寒くもない、心地よい家に家族といる。
こういうことが当たり前になっている。
病気になったときに、健康のありがたさがわかるように、
いま日本でおこっていることを遠くの国からみていて、
生きていること自体がこんなに幸せなことなんだとつくづく感じる。
たくさんの人から、言葉をいただいた。
ほんとに感謝の気持ち。
なんて、幸せなのだろう。
しあわせだなと思える健康な心がある。
よかった。
では、これから、ゼロ地点にたったとして、
わたしになにができるだろうと考えたとき、自分の子供に
ちゃんと教えることなのだろうとおもう。
原子力発電所とは、なんだから、はじまって、
なぜいるのか、
なぜ、こういう大惨事になったのか、
放射線とはなにか、
どういう害があるのか、
彼女は、まだなにもしらない。
彼女にまずひとつずつ教えていくことが、まずわたしのするべきことなのだろうとおもう。
わたしに、ちゃんと説明できる知識があるのかどうか、疑わしい。
今夜は、知人が誘ってくれて、
お茶をのみにいったけど、
私が、日本のことに触れるまで、向こうは、なにもいわなかった。
すごく気を使ってくれてなんだか、申し訳ない気持ち。
あきの学校でのインターナショナルデイでのダンスの依頼をことわった件は、
波紋をなげかけたようだった。
軽率だったということらしい。
私が、断ったのは、
こどもが納得がいかないといういうので、納得がいかないまま、
するのでは、意味がないというを意味していたのだけど、
学校側は、かなり、心配してくれたようだった。
頼んだ先生も、
こんな時期で、大変だとおもうけど、
日本のダンスをみんなに見せるというのはどうかしら、、、という
ちょっとした配慮があれば、あきの気持ちもちがったかもしれない。
配慮といっても、わたしもひとのことはいえない。
ニュージーランドで、地震があったとき、どれほど
感じた?
やはり、遠い国のできごとではなかったか?
今度は、日本。
自分の国でおこって、やっと、身近に感じたではないの?
この時期だから、余計に中途半端なことはしてほしくないというわたしの気持ちもあった。
やるなら、真剣にやってほしい。
練習して、まじめになにかに取り組んでいるところをみせてほしいとおもった。
なんでもいい、まじめに取り組んでいる姿は美しいものだから。
きょうは、EさんとMさんと、絵手紙教室。
たのしいひととき。
絵を描くって、そんなに大変なことではないということがわかれば、
どんどん絵の輪がひろがるんだーーとおもっただけで、うれしくなる。
好きなことが、共通すると、
話はさらにつきなくなる。
うまく描く必要はない。
下手でもいい。
3ヶ月。
3ヶ月つづければ、
後は、続く。
見たままを描く。
見てないものを描く。
見たものに、創造力を、加える。
結局、
この3つを組み合わせるだけなのだろうとおもう。
絵は楽しく描く。
楽しくなければ意味がない。
描くからたのしい。
楽しいから、描く。
絵の輪がどんどん広がっていきますように。