このkちゃんの字の描き方は、
非常に味のある字をかく。
影をかかせてみる。
子供の絵には、ふつう
影は教えない。
絵手紙にも影は、普通いれないけど、
わたし流で、やってみようとおもう。
これは、Lちゃんの自慢のなし。
水彩色鉛筆をサンドペーパーでごしごしやって、
なしのぽちぽちを出す。
幸せの青い鳥は、近くにいるのよーー。
アルアインの
あるランドアバウトで。
My sister's keepersと言う映画をみました。
家族の心の動きがほんとによくとらえられていて、いい映画でした。
家族ってなんだろうとつくづくかんがえさせられました。
年おいた母をひとりのこして、こんなところに住んで
へらへら絵を描いているわたしは、なにものなんだろう?
ピアノの練習はしたのかと毎日のように、
あきにきくのは、あきのことをおもっているのか
月謝がもったいないとおもっているのか?
人よりうまくひけるようになることより、大事なことは毎日毎日の練習のなかで、
幸せを感じないと意味がないのではないか。
いつか、幸せを感じるために練習をするのではなく、今という瞬間のために弾かないと
意味がないのではないか。
算数でいい点数を取ることも大切だけど、毎日の勉強のなかで、
昨日は分からなかったことが、今日は、分かるようになった自分を誇りに思える気持ちをないがしろにしていないか。
チルチルミチルのように、幸せは、日々の暮らしのなかにあるのに。
バレンタインにチョコを家族にひとつずつ買っておいて、冷蔵庫にいれたままあげるのを忘れてしまった。
みんなが寝てから、テーブルに置くという失態。
今日は、あきの学校の運動会。
75m、250m、500m、リレーと、
どれにもえらばれていた9歳の男の子。
私たちが、ここにきてから生まれた子。
生まれたころは仲良くしていたけれど、
男の子と女の子では、世界がちがい、
一緒にあそばなくなり、すっかり疎遠になっていたけれど、
今日の運動会で、
何度もゴールのテープを切る彼をついついカメラにおさめることになり、自分の子どもの写真より、おおかった。
何も道具を使わない。
走るということ。
こんな単純なことを長いこと忘れていた。
風を切って走る彼は、輝いていた。
すてきだったよとほめると、
満面の笑みも、はじらい半分でなんともかわいい。
お金に不自由しない最近の子がこころから幸せを感じるときってどんなときだろうか。
お金に不自由しない最近の子が、不幸せを感じるときは、どんなときだろう?
風を切って懸命に走る彼を見てシャッターをきるとき、ふとそんなことを考えた。
バレンタインは、まともになるわたし。