ローカルのマーケット。
ちゃんとした、スーパーマーケットは、首都に1つだけだった。
1999年、ここを去るまでそうだったので、あれから、11年。
アルアインが、変わったように、ブルネイもかわったかもしれない。
あれから、11年。ここの名前はおぼえてない。
うちの人が働いていた、中学の授業風景。
ある日、うちの人を車で迎えに行っているとき、突然藪の中から、豚が出てきて、走っている車にぶつかった。イスラムの国で、豚を飼っている人はいないだろうから、たぶん野生。
あのころ、カメラ持ち歩く習慣がなかったので、残念。
Tuton わたしたちが、住んだ町は、首都から、車で、40分くらいかかるところで、見事になにもなくて、よく20ヶ月いきのびたなとおもう。これは、ツトンの真ん中を名がれるツトン川。
農場見学かなにか。
女性の服は、とにかくやたらとプリント。
日本からの生地はちょっと高い。
どこの国にいっても、日本製は、割高。
うちの家のうら。
ある日、サルがココナッツをとりにきた。
あのころ、デジカメがあったらなー。
山ほど、写真がとれたのに。
うちの人が、草を切り、畑をつくった。
トマトは、簡単に収穫できた。
ベランダから、夕日を眺めながら、ジントニックをよく飲んだ。
映画館があるわけではなし、ビデオを見ることくらいしか、娯楽はなかった。
アルコールは、ブルネイでは、売られていないので、マレーシアの、国境を越えて、買いに行っていた。今考えるとおかしなことをやっていたなーとおもう。片道1時間以上。
アルコールを買うのは、2ヶ月に1度くらいの、週末の大イベントだった。
1日はつぶれたから。
何もすることがないので、テーブルをつくった。
本も何もなくて、自分で見よう見まねで作っていると、楽しくて、最後には、注文までもらった。
テーブルにキャスターをつけたのがよかったらしい。
ヤモリの落し物を掃除するのに、キャスターをつけていると、かんたんにテーブルを動かせてテレビの後ろとかそうじしやすいというのがあって、かなり、はまって、いくつもつくった。
かんななど、使ったこともないのに、自分で勝手に、やった。
大工か、家具職人になりたいと真剣におもったころ。
1997年に、20ヶ月の契約でここに住むことになったころ、自然発生の山火事で空気が煙くさかったし、ぼやけて遠くがみえなかった。
隣の猫の名前がドーナツだったので、うちの猫の名前はコーヒーにした。
よく熱をだしたので、なんども病院に連れて行ったなー。
元気でいてくれるかな。
水上都市。ここも、11年でだいぶかわったとおもう。
ブルネイは、石油でUAEと同じように、豊かな国のはずなのだけど、豊かなのは、王様たちだけで、一般市民はあまり、還元されてはいないようにみえた。
とはいえ、この国にすまなければ、こどもを授かることはなかったかもしれないので、感謝してます。
この国で、手術をうけて、懐妊。
1999年。
医者はいるけど、麻酔師がいないのよ、あなた、知ってたら、紹介してよ。
インド人の明るいお医者さん。
冗談だとおもっていたら、結構まじめだったらしい。
やっと、麻酔師手に入ったから、手術するよーと、ある日電話。
バングラデシュ人の女性の医者だった。
手術後、5ヶ月後に、懐妊。
うれしくて、その手術をしてくれたお医者に感謝の手紙を書いたけど、返事はなかった。
そういうことに、いちいち返事を出していたら、きりがないのだろうとはおもったが。
日本人の知り合いは、こんな国でそんな手術受けるなんて、信じらないといった。
わたしは、信じるものは、救われるっていうでしょ?
彼女は、それでも、それは、無謀だわ、断固としてゆずらない。
手術が成功したからいいようなものの、もし何かあったら、どうするつもりだったのよーと。
この国での医療技術をほとんどの日本人はまったくあてにしていないらしかった。
結婚式。ブルネイもイスラムの国。
でもUAEとは、かなりちがった装いで。
とてもカラフル。
写真では、優雅にみえるけど、とんでもなく暑かった。
服はからだにべっとり張り付き、お嫁さんの、化粧ははげてどろどろ。
どこにも、クーラーがなく、扇風機が2台。
拷問のような、結婚式だったのを覚えている。
水上都市は、観光名所。
首都のバンダーセリベガワンにある。
ブルネイでは、なにもすることがないので、やたらとガーデニングに燃えた。
大使館で、働くだんなさんをもつよしこさんと、よく植木を買いにいって、めずらしい花を見つけては、交換したりして、たのしんだ。
植物の成長は日本の3倍ほど早い。
どんどん大きくなるので、剪定が面白かった。ある日、隣の家の前庭にサルが来て、バルコニーからずっと見ていた。ほかにすることがなかったし、暑さで頭がまわらなかった。
ブルネイで20ヶ月住んだ家。
雨が多いので、湿気を避けるため、こういう、デザインの家が多い。
1997年にきたとき、なんと、クーラーがなかった。
すごい湿気で、家主に頼んで、クーラーをつけてもらったが、なんと、ベッドルームに1個だけ。
ヤモリ(たぶん)が、窓を閉めていても、すきまから、入ってきて、家中を這い回り、何かを持ち上げると、そこから、にょろっっとでてきて、そのたびに、悲鳴を上げるというのを、20ヶ月やった。あの形と動きには、どうしてもなじめなかった。
うちのバルコニーから、仕事にいく、うちのひとを
見送る。雨が降ると、ここが、全部水没した。
感動だった。
タイの人が、はすの花で料理を作ってくれた。下水の設備が万全といえないこの国で、そういうものを食べるのには、抵抗があったが、体力(?)には、自信ありのわたしは、なんとおいしくいただいた。後で、なんともなかったのは、われながら、さすが。