今年の夏の同窓会での話題は、重かった。
痴呆症の母と、自閉症の子供の世話であけくれる
Tさん。
母親は、寝たきり。
下の始末に明け暮れる日々だという。
手袋をして、母親の便をかきだしてやらなければならない。
Tさんは、いう。
母だって、こんなことまでされて、
尊厳もなにもあったものではない。
ほんとに、
彼女は生きていたいのだろうかと。
自分がだれなのかわからないまま、
生きている母を見るたびに悲しくなるという。
人間の一生なんて長いというのは、大きな間違い。
最近子供が生まれて、アーかわいいーーなんていっているのは、つかの間。
もう、自分たちの老後をどう生き抜いていくかに話題はかわっていた。
後は宗教の話。
葬式からはじまって、1周期、49日、1年祭から、うん十年祭まで、延々と死者の弔いは、生きているものの、
生首をぐいぐいしめるようにやってくる。
親の介護から、尊厳死、遺書から、
墓の話題へと、
半世紀以上生きると、話題はこういうものに自然と移行するものなのね。
今までの同窓会のなかで、
いちばん意義のある会だった。
脈絡もなく赤ピーマン。
食べる前に描く。
ハイパーマートのカリフオーは、
スタッフをあきらかに増員し、
にぎやかになっているのはいいのだけれど、
野菜やくだものの
価格は、さらに
アップ。
イチゴなど、目をむくような値段がついている。
なぜか、イチジクが多量に売られていた。
1箱50個前後入った箱が、
10箱ほど、
どかんと場所をとっていた。
イチジクなんぞ、
イチジクさんには悪いがそんなに人気のある
果物とはおもえない。
紫の線のボケ具合が絵になりそうなので、
2こだけ、買ってみる。
売れないらしく、
どれをさわっても、
ふにゃふにゃとやわらかい。
落としたりしたら、
割れてしまい、中身が出るぞー、気をつけないとーーとおもった瞬間落とした。
案の定、1つは、割れて、無残。
しかたないので、食べるまえに、そのまま
描く。
中の粒粒の部分を描くのはむずかしい。
おいしいけど、
また買いに行こうというほどの、味でもない。
あの、大量のイチジクがどれほど売れたのか、
変に心配になる。
なんだか、イチジクには悪いけど、
どうも、
小さいころに、便秘のときに使ったれいの薬品のイメージが
とれないので、
イチジクをみても、
あまり、食欲がわかないのは、そのためかもと思う。
イチジクに、すればえらいく迷惑な薬ではないの。