48回目の命日まで、あと、1ヶ月。
7月27日。
アジサイの花をもって、
お墓参りにいった。
48年前のこと。
3本のアジサイを、家の庭から切ってもっていった。
まだ、子供だったので、
小さな小さなお墓だった。
一人で、墓地にいくなぞ、
今考えると、
勇気があったと思う。
楽しい海水浴で、1日が終わるはずだった。
子供たちは20人ほどいた。
あの渦にまきこまれて、命を落とす可能性は、
だれにでもあった。
わたしだったかもしれなかった。
もう、あれから、半世紀がたとうとしているけれど、
ずっと、7月の27日は、
特別な日。
私が、いままで、味わった、楽しいことも、楽しくないことも、
彼は、体験することができなかった。
生き残った私たちは、そういう無念の人たちの人生の上に
支えられているだけであって、
私たちが、すごくがんばったから
今があるのだというのは、勘違いではないかと思うときがある。
なぜ、生きていかなければならないのかという
答えがいつも、この、1年に1度、7月27日にやってくる。
ずっと、ずっと、
あの海を見られなかった。
去年の夏、47年ぶりにあの海にいった。
あのとき、巨大に見えた浜は、
拍子抜けするほどに、小さかった。
彼の命を飲み込んだあの浜と、同じところだとは思えなかった。
16才の娘とその浜を歩いた。
47年まえに、同級生が命を落とした海だということを
どうしても、言えなかった。
安っぽくなりそうだったから。
どれだけの、言葉をつくしても
あのときの状態を、説明できるとはおもわなかったから。
どれだけの言葉をつくしても、
いかにしあわせかを語れないように、
どれだけの、悲しみだったなどということも
言葉で、表すことはできない。
自分が親になって、初めてそのことに気づく。
48th's anniversary of a boy called T is coming on 27th of July.
I went to his grave with 3 hydrangeas 48 years ago by myself.
It was a tiny grave.
About 20 kids with some adults went for a swim the day.
He was trapped a whirlpool.
Nobody could have helped him unfortunately.
There was a huge possibility to trap it anybody then.
It might have been me as well.
It pass about 48 years.
It is a memorial day on 27th of July.
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