今日は、インチキして、昔の絵。
この町に住んでいる日本人は、仲がいい。
月に1度ほど、
集まって、お茶をしながら、
情報交換。
主婦があつまると、
子供の話から、
学校のはなし、
夫婦の話から、投資の話までいろいろと、
盛りだくさん。
わたしが、物を持たない生活にあこがれる話をしていると、
一人のひとが、
終活ですか?
というので
そういうことね、
と返した。
いやー、子どもがいなくなると、
こんなになにもかもいらないくなるものかと
驚くわーなんてことを言っていた。
その夜、終活ですかといったひとから、謝罪のメッセージがはいる。
終活なんて失礼なことをいって、申し訳ないという。
わたしは、なにも失礼なことはないわ、なんでそうおもうの?と
逆にきいた。
人は、死について語りたがらない。
これは、どうしてだろうといつも不思議におもう。
遅かれ、早かれ、最期のときがくる。
もっと、語るべきなのではないだろうかと思う。
誕生日をあれほど祝ったのだから、
最期の日だけを、まるで、存在しないかのようにするのはおかしい。
避けては、通れないのだから、それにむけて、準備をすることは当たり前のことなのだが、なかなかそうはならない。マー私も、この年になったから、こんなことがいえるのだろう。
倉庫の整理で、
小さな絵がたくさんでてくる。
そのまま処分ももったいないので、
こんな感じで、絵手紙をつくる。
大きな絵も、絵手紙になりそうなところを切り取って、
絵手紙をつくる。
母が楽しみにしているのか、してないのかはさだかではないけれど。
ちょっと、恩着せがましいかなとも思う。
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