Saturday, January 27, 2018

Al Qattara souq, Al Ain


15cm x 20cm




時々、アクリルで描く。
これは、ずっと前にリンゴを描いていた小さなキャンバスのうえに
塗り重ねてみた。キャンバスは永遠に色を重ねることができて便利。
水彩は、それができない。
3原色に、オリーブグリーンと、オレンジと白で、6色で描いてみた。



神様お願いです。
うまくいきますように。
無宗教のくせに、こまったときだけ、神様をたよるのは、
失礼だろうと、神社やお寺に行っても、あまり、真剣に
お願いごとをした記憶がない。
100円や200円程度のお賽銭で、願いをかなえてもらおうなんて、
そんな無謀なことはしたくないと常々おもっていた。
私がもし神様側だったら、
冗談じゃないよ、
今まで、何にも、自分のことなんか考えてくれたことがないのに、
こまったときだけ?
それも、100円?
やってられん。
と思うはず。

しかし、これも、寄る年波か、
最近、神様お願い助けて、、。
なんてことで、無意識に手を合わせている自分がいる。
神道なのに、般若心経を読む母の気持ちがわかるようになってきた。

日本人は世界でも珍しい国民だときいたことがある。
誕生の祝いに、神社にいき、
結婚式は、教会にいき、
葬式で、寺にいく。

タイに行った時、彼らの信仰心の深さにはおどろいた。
町のあちこちに、祈るところがある。
日本のデパートの前にも祭壇があった。
ガネーシャは、飾られた花でみえなくなるほど。
出勤途中のひとたちが、マリーゴールドや、らんの
花輪を買ってきて備える。特に、若者が多いのには、驚いた。
地面に膝をつき、無心に祈る若者たちの姿は美しかった。
彼らは、どんなに急いでいても、そこで、祭壇の前を通過するときに、
手をあわせて、目を閉じる。
何かに祈る姿はほんとに、美しい。

神に祈るというのは、誰かに強制されてするものでもなく、
自然に魂の中から出てくるもの。
何かがうまくいったとき、
神様ありがとう、みたいな気持ちがあってもよいなとおもいはじめた。

昨夜描いたこのおじいさんは、アルカターラ市場のカフェにすわっていた。
もう、かなりの年齢らしかった。
抱きしめると、
粉々にくずれそうなくらい小さな小さな人だった。
dつぶらな、深-い瞳が、なんだか、神様みたいな何とも言えない雰囲気だった。

神様は、もしかしたら、自分のすぐそばにいるのに、
気づかなかいまま過ごしているのでは?と感じるときがある。


では、よい1日を。
アーメン 笑












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