小さいころのように、画用紙に書いてみた。
紙が波うってしまった。
子どものころは、絵を描くのは、大嫌いだった。
もし、いま、昔にもどることができたら、絵を描くのが
楽しくてしかたがない子どもになるにちがいないとおもう。
姉はうまかった。
小学校1年生でこれだけ、描けるというのは天才だとおもう。
わたしは、いつも、stickmanだったはず。
きのうは、姉と姉の娘と、3人で習字の日。
師範の先生に添削をしてもらった。
カメラのなかでは、
水に雲がうつっているのに、
ここにアップすると
見えない。残念。
朝の月
大人になり始めた17歳の娘は、
やっと、会話ができるようになった。
娘がなぜか、急に、日本語で、話すようになり、
あれほど、嫌っていた母と、
台所で話している。
それをわたしが玄関の近くで聴いている。
どんなとき、幸せを感じる?
と、もし誰かがきいたなら、
今だと、言うかもしれないとおもう。
自分が幸せになるということは、
周りの人が、幸せなところを見ることなのだ。
娘は、日本語を話したがらなかった。
母は英語がわからなかった。
そういう二人は、
なかなかうまくいかなかった。
娘が、いたわりの心をもつようになり、
母が若いひとのことを、ぼけながらも理解しようとつとめる。
歩み寄るまでに、17年がかかった。
母がすこしずつ認知症になっていくのを、
娘が、しっかりと見ることになったことは、
よかったと思う。
いろんなことを忘れ始めた母をみることは、つらく、複雑な心境だけれど、
今年は、最高の夏になるだろうとおもう。
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