私の、物忘れははげしい。海馬と呼ばれる、脳の一部分が作動していないのではないかともうことがある。
われながら、本と、これはひどいというときがあって、
この年齢でこれでは、数年後には、目もあてられんようになっているのではとおもっている。
まず、誰かの住所を書いたノートがなくなる。
大切な番号を書いた紙はなくなる。
パスワードを書いたのをなくす。
描いた絵は、どこかに消える。
あまりにも、ひどいので
私の家族は、俺たちが家族ってことすら忘れるんじゃないかと、
結構真剣な顔でいう。
しかし、アドラーは言っている。
もの忘れがはげしいと、
否定的になってはいけない。
いいこともだけど、いやなことも同時に忘れることができるのだから、
過去を引きずらず、肯定的に生きることができると。
ものは考えよう。
アパートの部屋の番号がすんなりでてくるのだから、
まだ、だいじょうぶ。
糸井氏のほぼ日新聞にちなんで、私もこれから、毎日なにかを書きとめることにしよう。
そこのなかに、飯間ひろあき氏の"言葉をずっと観察している"、日本語について考える対談というのがある。
なんと、三省堂の国語の辞書に、*やばい*という言葉の意味がのっているという。
あれは、標準語だった。
きょうは、友人と、最近の若い人は、
なんでもかんでも、やばいを使うから、
日本語が乱れすぎでないかというので、
もりあがったばかりだった。
" がち "は、相撲用語からきているとか。
日本人であるにも、
かかわらず、
こんなに、
日本語がわからなくてよいのかとすっかり、元気をなくす。
Anise loves green food.
Tonal study with indigo blue
言葉といえば、私は、小学校のとき、新聞に面白い記事をみつけて、
母に、しんづまがね、、、と記事の説明をはじめたとき、
しんづまってなにそれ、それをいうなら、にいづま、新妻でしょと
笑われてから、すっかり、しゃべる気力を失ったことがある。
私が、しゃべるのが下手なのは、あの"しんづま"で、勇気をくじかれたからだと、半世紀にわたって思っている。人に、過去のことを引きづるなといってる割には、私は、50年近くひきづっているわけで、ひとになんやかやといえた立場ではないなと思う。
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